アメリカ国防総省
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アメリカ国防総省(United States Department of Defense、略称DoD)は、アメリカ合衆国の国防・軍事を統合する官庁。アメリカ軍(五軍)のうち、沿岸警備隊を除く陸軍・海軍・空軍・海兵隊 の四軍を傘下に収める。陸海空軍の各省の統括組織のため日本では国防“総省”と翻訳される。現在、同国の官庁の中で最大の規模を誇っている。
本庁舎は、五角形の形をしていることからペンタゴンとも呼ばれる。
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[編集] 歴史
国防活動の調整の提案は、1944年に下院に最初に提出された。陸軍、海軍および統合参謀本部による計画は1945年に提出され、1945年12月19日、トルーマン大統領による下院への特別教書で国防に関する統合部門の設立が提案された。提案は下院に1946年4月に上申されたが、権力の集中に対する反対により、海軍事務委員会での公聴会によって遅れた。トルーマンは結局1947年2月に下院に対して新たな提案を行い、それは数ヶ月にわたって討議、修正された。
1947年7月26日に、トルーマンは国防法案に署名した。同法案によって1947年9月18日に国家軍政省 (National Military Establishment)が発足し、初代国防長官にはジェームズ・V・フォレスタルが就任した。同省は略号の「NME」が enemy (敵)の発音に似ていたため、1949年8月10日に国防総省 (Department of Defense)に改名された。国防長官には陸海空三軍に対する強大な権力が与えられた。
国防総省はワシントンD.C.の外郭部、ポトマック川を越えたバージニア州アーリントン郡に所在するペンタゴンを本拠とする。それは1789年に設立された陸軍省と、1798年に設立された海軍省(それ以前は1780年に設立された海事部)および新設された空軍省を傘下に設立された。よって現在、「省」の内部に「省」を有する、アメリカで唯一の組織である。
[編集] アメリカ同時多発テロ
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロにおいて、ハイジャックされたワシントンD.C.(ダレス国際空港)発ロサンゼルス行きアメリカン航空77便(ボーイング757)が9時38分に国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突した。
乗客・乗員は全員死亡。離着陸時の事故と違い、高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸は殆ど原形をとどめなかった。
激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録された。また、付近を通行中の多くのドライバーや歩行者によって激突の瞬間が目撃された。
なお、執務中のドナルド・ラムズフェルド国防長官は危うく難を逃れ、建物の外へ出ると女性職員が血を流して倒れていた為、彼女を抱えて避難し、救急車が来るまで手当てをしていた。
[編集] 組織
- 国防長官府(OSD)
- 国防政策委員会(DPBAC)
- 純評価局(ONA)
- 監察総監室(OIG)
- 国防犯罪捜査局(DCIS)
- 統合軍
- 国防総省内部部局
- 現業部門
- アメリカ軍広報部(AFIS)
- 戦争捕虜・行方不明者局(DPMO)
- 国防総省教育本部(DODEA)
- 国防総省人材本部(DODHRA)
- 経済調整局(OEA)
- 国防厚生管理本部(TMA)
- ワシントン本部管理部(WHS)
国家通信システム(NCS)は、2003年に、国土安全保障省へ移管。
[編集] 技術開発
情報通信分野では、内局である国防高等研究計画局(DARPA)(旧ARPA)はインターネットの原型であるARPANETを開発し、現在、インターネットの基礎プロトコルであるTCP/IPを開発した。また現在、多くのオペレーティングシステムのマイクロカーネルとして利用されているMachを開発した。 さらに知られている技術では、GPS(全地球測位システム)を開発した。最初は軍事用として利用されていたが、現在は民間用に開放されている
[編集] データ
面積 約80万平方メートル 総床面積 約34万平方メートル) 外壁の一辺の長さ 約281メートル 建物の高さ 約22メートル 建物の階数(地下、及び中2階を含む) 5階 廊下の総延長 約28キロメートル 階段 150個所