アインシュタインの予言
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アインシュタインの予言(あいんしゅたいんのよげん)とは、A・アインシュタイン(1879年3月14日 - 1955年4月18日)の発言として流布されている約300文字程度の言葉。ただし2006年に中澤英雄東京大学教授(ドイツ文学)は、A・アインシュタインがこのように発言した例は無いと主張し、2006年6月7日朝日新聞で公表されてからは都市伝説もしくは偽書の一種であるとみなされる傾向にある。
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[編集] 概要
この文章の初出は明確では無いが、1950年代に遡るという。この中では、日本の天皇をはじめとし、近代日本を賞賛する内容と成っている。内容は、世界の行き着けるだけ発展し、また戦争などの争いも生まれ、その戦争に倦んだ後に平和を求め、世界は終結的に軍事力や経済力によらない盟主である天皇を求めてアジアに還り、日本はそのアジアの頂点にあると述べ、その日本が存在する事を神に感謝すると述べている。
この文章はインターネット上のコミュニティでもしばしば引用され、日本人の愛国心にも訴えるような名文とまでされ、『世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33撰(せん)』(ごま書房、2005年発行 ISBN 4341083007)にまで“アインシュタインの言葉”として記載されている。
しかし前出の中澤英雄の発表によれば、初出とみられる1956年の書籍ではドイツ人法律学者、ローレンツ・フォン・シュタインの発言だと紹介されており、これが流布の過程でいつしかA・アインシュタインの発言と混同されたようだ。なおシュタインは明治憲法成立に多大な影響を与えているが、その講義録にもこのような発言は見られず、更に遡る事1928年に宗教家の田中智學が『日本とは如何なる国ぞ』という本の中で、これに良く似た記述をしている。中澤英雄は、「おそらくこの田中智學の創作によるものである」と見ている。
なお上に挙げた朝日新聞の記事中、東海大物理学史教授でアインシュタイン研究を行っている板垣良一は、同社の取材に答えて「 アインシュタインはキリスト教徒でもユダヤ教徒でもなく、神にこだわらない人だった 」とした上で、彼が残した日記や文献の上でも日本の天皇制に言及したものはなく、この発言を「 アインシュタインのものではない 」と断言している。
[編集] 余禄
なおA・アインシュタインに関してだが、その晩年に哲学者の篠原正瑛と文通していた事が知られている。当初は篠原がアインシュタインの相対性理論をもとに原子爆弾が開発された事、あるいは第二次世界大戦中に当時のアメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトに原子爆弾開発を促す書簡を送った事、またナチス・ドイツを憎悪したアインシュタインの姿勢は、平和主義者らしからぬ行為では無いか?と、痛烈に手紙の中で批判した。
この批判に対しアインシュタインは、自らを必ずしも平和主義者では無いとした上で(アインシュタイン自身がユダヤ人であるため)、ナチスドイツ攻撃は正当な行為だと自身を弁護、また原子爆弾に関しても篠原には日本国民として日本のアジア侵攻に対する責任があると反論した。また原子爆弾の日本への投下は、自身はそれを止める立場にはなかったことを弁明している。その上で、篠原に対し「相手を批判するならば、その相手を良く知っておくべきだ」とした(「私の方程式は原爆とは何の関係もない」と書かれていたという)。
こうして当初激しく批判しあった二人であったが、後に両者の間に和解が成立し、その後は近況を伝え合う手紙や贈り物などを交換したという。2001年に篠原が病で世を去り、2005年にはこのやり取りされた書簡を遺族が専門筋に寄贈したいと発表している。なおアインシュタイン当人は手紙を良く出した事で知られるが、その自筆書簡は日本国内にはほとんど残されておらず、この文通で交わされた6通の手紙は、貴重な歴史資料的な価値があると見られている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- (アイン)シュタインと日本3(中澤英雄による発表)
- 日々是桜アインシュタインの言葉 - 肯定的サイト
- 玄倉川の岸辺「アインシュタインの予言」 - 否定的サイト
カテゴリ: インターネットの文化 | 都市伝説