くさや
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くさやとはトビウオやアジなどの魚類をくさや液と呼ばれる魚醤に似た独特の風味をもつ液に浸潤させた後、天日干しにした干物の一種。伊豆諸島の特産品。発酵食品の一種とされる場合もあるが、発酵しているのは魚自身ではなく、くさや液である。
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[編集] くさやとは
くさやは新鮮なムロアジやトビウオなどを使用した干物の一種であり、伊豆諸島での生産が非常に盛んである。独特の臭気があり、人によって好き嫌いが大きく分かれる。味は塩辛いがまろやか。「島焼酎」と呼ばれる伊豆諸島産の焼酎やコシの強い(乳酸の多い)日本酒によく合うとされる。塩辛い食品ではあるが、実は塩分はそれほど高くはなく(くさや液の塩分濃度は濃くても10%程度)、近年は体によい食品として関東地方を中心として出荷されている。
くさやを作る場合は、開いた新鮮な魚を「くさや液」(くさや汁とも)と呼ばれる浸け汁に8~20時間ほど浸け込み、よくなじませてから真水で洗浄し、天日に1・2日ほど干す。大抵の場合、その後臭いが漏れないよう真空パックしてから出荷される。現在では、天日ではなく乾燥機などによる強制乾燥も行われる。
[編集] 歴史
くさやは長い歴史をもつ食品であり、江戸時代には献上品とされていた記録が残っている。正確な原産地は不明だが、伊豆諸島では新島を元祖とする説が有力である。現在も各島で製造されており、特に新島と八丈島で盛んである。そして、くさやという言葉は、江戸時代の江戸の魚河岸の間で、くさいからクサヤという名前がついたという説がある。いつごろからクサヤと呼ばれたかはハッキリしない。
[編集] 塩年貢
伊豆諸島では、急峻な斜面が多く、米作ができなかった。畑にする土地も少なかった。江戸幕府は、それではと、伊豆諸島には製塩という特産物があることから、幕府は塩を年貢として献上することを命じた。江戸時代でも、米の年貢はどこでも村人全体総出で納めないといけないのと同じで、伊豆諸島の島も、島中の島民総出で塩を作らないとならない数量を納めていた。当然ながら、塩はとっても貴重なもので、勝手に塩を盗んだり独占しようとしたら、その一家はお取り潰しの憂き目にあう大変厳しい掟があった。
また、製塩の他には、魚などをとっていたが、釣った魚を江戸まで運び、保存するにはどうしたらいいか。それには当然塩漬けにして干物にするのがいいが、貴重な塩を大量に使うわけにはいかない。そこで島民達は試行錯誤の上、塩水に浸しておいて干す方法を思いついた。あるいは、その都度塩水を取り替えたいが、塩も貴重なため、やむなく腐った塩水をそのままつかっていて、腐った干物を食べたらおいしかったから、これが広まったという説もある。これらがくさやの原型である。当初は単純な塩水に浸けた魚を干したものであったらしい。塩水を使いまわしながら干物を作っていたところ、それに魚の成分などが蓄積し、さらに微生物などが作用することで現在のくさや液のもととなるものができたとされる。
[編集] くさや液
くさや液は、上にも書いてあるとおり、長年かけて魚の成分などを「ダシ」として使うため、熟成までには相当の年月がかかる。塩が足され、現在まで新規で作成されることはほとんどないため、製造業者はこの液を家宝として、また味の出し方や塩の加減によって味が変わるので、くさや液の製法は各店の秘伝として、代々受け継がれているいる。くさやの匂いや味は島ごとはもちろんだが店ごとにも差がある。「元祖」だけあって、一般的には新島産の物がもっとも匂いが強いと言われている。また、伊豆諸島の一般家庭でも、代々くさや汁を受け継ぎ、家庭でくさやを作っている家も結構あり、昔は嫁入り道具の一つとなっていた。
茶褐色の粘り気のある液体で魚醤に近い風味をもっていて、酢酸、プロピオン酸などいくつかの有機酸を含む。「くさや」の名のとおり臭みが非常に強く、全く受け付けない人も多い。
また、ビタミン、アミノ酸などが非常に豊富に含まれていて、抗菌作用もある。そのため、体に良いとされており、かつて医療体制の整備が遅れていた伊豆諸島では、怪我をしたり体調を崩すたびに、薬代わりとしてくさや液を患部に塗布したり、飲ませたりしていたという。
[編集] 調理
通常の干物と同様に調理する。ただし、あまり長い時間火にかけないことが肝要で、みずみずしさが残っている内に食べるのが美味いとされている。焼きたての熱いうちにほぐすと、食べやすい。
焼いた身をほぐしてお茶漬けにしたり、茹でた明日葉とマヨネーズで和え物などにしてもよい。
都心や外国でくさやを焼いていたところ、「死体を焼いている臭いがする」と警察に通報され大騒ぎになったという逸話もある。近所の迷惑にならないように調理する必要がある。
各島の観光みやげとして、また本土の一般のスーパーでも、焼きほぐした上で瓶詰め及び真空パックにしたものが販売されている。こちらは購入後の調理の必要が無く、周囲に遠慮することなくすぐに食べられるため好評である。しかしそれでも焼いたときのような強いニオイは出ないが、くさやのニオイが嫌いな人はわかるみたいで、食べる際には注意が必要である。
[編集] おまけ
- 主な産地の一つである東京都新島村にはくさやの加工団地があり、その所在地は「東京都新島村本村くさやの里」である。現在は、小笠原諸島の父島でも生産している。
- くさや液は新島系と八丈島系では成分が根本的に違うらしい。実際、八丈島の住民は新島産のくさやを「臭い」といって嫌う。逆に本土で昔からくさやを食べている人達は昔から流通している新島産に慣れているので、八丈島産を食べると違和感を感じる人もいる。
- 最近は新島の製造者は比較的昔ながらの製法を守り、八丈島の業者はマイルドに仕上げる傾向にある。
- 三宅島におけるくさや製造は2000年の三宅島噴火による全島避難により壊滅したが、一部の製造者は近年の帰島後、新島の製造者よりくさや液を提供され、くさや製造を再開している。
[編集] 外部リンク
- 新島水産加工業協同組合 (NiijimaKusaya.com)
- Niijima.Japan-Himono.net