Talk:李舜臣
维基百科,自由的百科全书
は、壬辰・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)時の李氏朝鮮の将軍。韓国では国民的英雄となっている。
京畿道開豊郡の徳水李氏の出身で、現北朝鮮領の開城に生まれた。字は汝諧。1576年、武科(武官の登用試験)に及第し、1591年に全羅道水軍節度使に抜擢される。
豊臣秀吉が朝鮮出兵を開始すると、亀甲船を駆使して日本水軍に損害を与え、兵站を遮断して壬辰倭乱(文禄の役)の停戦におおいに功績を立て、水軍統制使に任命されたが、同僚の讒訴により解任される。1597年に彼の後任の水軍統制使元均が巨済島海戦で大敗を喫し、戦死すると水軍統制使に返り咲き、朝鮮水軍の再建に着手し、日本水軍を再び撃破して制海権を奪った。
1598年、撤退を決定した日本軍の小西行長、島津義弘らを追撃し、露梁海戦で破るが、乱戦の最中に日本兵に銃撃されて戦死した。のちに、忠武と謚(おくりな)された。
1592年から朝鮮に出兵()したが、朝鮮各地での義勇軍の激しい抵抗や李舜臣率いる朝鮮水軍の活躍と、明から援軍が送られてきたことで戦況は悪化し、休戦した。しかし、まもなく講和が決裂し、1597年再び朝鮮出兵が行われた(慶長の役)。秀吉は、その最中の1598年8月18日、伏見城で没した。