UF-XS
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新明和/グラマン UF-XS | |
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概要 | |
用途 | 研究 |
乗員 | 7名 |
初飛行 | 1962年12月 |
製造者 | 新明和工業 |
寸法 | |
全長 | 23.1m |
全幅 | 24.4m |
全高 | 7.8m |
翼面積 | m² |
重量 | |
空虚 | 12484kg |
運用 | kg |
最大離陸 | kg |
動力 | |
エンジン | P&W R-1340(600馬力)×2 ライト R-1820(1,425馬力)×2 |
性能(目安) | |
最大速度 | 333 km/h |
航続距離 | km |
実用上昇限度 | m |
上昇率 | m/min |
UF-XSは、日本の航空機メーカー新明和工業が製作した実験用飛行艇。
[編集] 開発経緯
第二次世界大戦以前、日本の航空技術は急成長を遂げたが、敗戦によってGHQ SCAPが占領すると、日本人の航空の運行、製造、研究を一切禁止した。7年後に解禁されるが、その間に世界の航空機技術は格段に進歩していた。
ところが、アメリカ合衆国では日本から持ち帰った二式大艇を飛行実験したところ、アメリカやイギリスの同時期の飛行艇よりも優れていたことが明らかになり、驚いたグラマン社やマーチン社は1958年(昭和33)に、二式大艇を製作した川西航空機の後身、新明和興業(現新明和工業)に対して、自社の飛行艇の改造実験を行うように求めた。
一方、かつて川西で活躍した技術者、菊原静男は1953年(昭和28)から社内で飛行艇の構想を練っており、1957年(昭和32)には防衛庁に対し、飛行艇の実験機を作らないかと持ちかけていた。これを受けて防衛庁でも飛行艇の実用化を検討して、1960年(昭和35)には、新型飛行艇を対潜哨戒機として使用する案がまとまった。すでに菊原は新型の波消し装置を付けた模型飛行艇の試験でグラマンとマーチンから高い評価を得ており、日本独自の優秀な飛行艇を作り、海外にアピールする好機だと捉えていた。
菊原の考えた新型飛行艇は、波高3メートルでの離着水能力と高揚力装置を備えた挑戦的なものだった。興味を持ったグラマンは、菊原の技術を将来的に自社に取り入れられると考え、気前良く米海軍向けのUF-1救難飛行艇(グラマンSA16「アルバトロス」飛行艇)1機を提供した。それを基に艇底を自社開発の試作品に変更、垂直・水平尾翼を採用予定の試作品に取り替え、主翼を延長してエンジンを4機に増設した実験飛行艇UF-XSを製作した。UF-XSは1962年(昭和37)12月の初飛行から1966年(昭和41)までの足掛け4年をかけて波消し装置、自動安定装置、高揚力装置などの様々な実験、試験、調査を行い、十分な基礎データを取得した。
このデータを基に、防衛庁は対潜哨戒機の製造を新明和に求め、海上自衛隊PS-1(後にUS-1へ発展)の完成に繋がっていく。
現在は、US-1と共にかかみがはら航空宇宙科学博物館に展示されている。
[編集] 参考文献
- 「日本はなぜ旅客機を作れないのか」 - 前間孝則(草思社)ISBN 4-7942-1165-1