JATユーゴスラビア航空機爆破事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
JATユーゴスラビア航空機爆破事件(—こうくうきばくはじけん、英語: JAT Yugoslav Flight 364)とは1972年にJATユーゴスラビア航空の旅客機が飛行中に爆破されたテロ事件である。この事件はクロアチア国家主義者が仕掛けた爆発物によって引き起こされたもので、爆発により機体は空中分解したが、乗員のひとりは奇跡的に救出された。
[編集] 事件の概要
JATユーゴスラビア航空364便(DC-9, 登録記号YU-AHT)は、デンマーク・コペンハーゲンからザグレブ経由ベオグラードに至るルートを運航していた。1972年1月26日午後5時ごろ(現地時間)にチェコスロヴァキア(現在チェコ共和国)のSrbsk Kameniceの上空10,160 m (33,330 ft) を飛行中に、ユーゴスラビア当局によるクロアチアの国家主義者リーダーなどの国外追放に抗議する者によって仕掛けられた爆弾が炸裂し空中分解した。同機には乗員6名と乗客22名が搭乗していたが、およそ10 kmの巡航高度から落下したために全員絶望と思われていた。しかし客室乗務員であった ある女性は、墜落のショックによる身体各所の複雑骨折を負いながら奇跡的に救出された。彼女は航空機の後部付近にいたが、機体が空中分解したあとは残骸に閉じ込められそれが木の葉が舞い降りるように落ち、山の斜面にある木々をすべるように着地したため生存可能な衝撃ですんだと思われる。彼女のこの奇跡はパラシュートなしで最も高い高度から落下して生還した記録としてギネスブックから認定された[1]。彼女はその後一時的に下半身が麻痺するなど長期の入院生活を余儀なくされたが後に回復し、航空会社で事務職として働き続けた。