8月危機
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8月危機(はちがつきき)は、2001年8月25日、匿名掲示板2ちゃんねるが閉鎖の危機に陥った事件。この全貌を記録したFlash(通称「UNIXFLASH」、外部リンク参照)が普及し、当時を知らない者にもこの事件の概要は広く浸透している。
[編集] 概要
1999年より稼動を開始した「2ちゃんねる」は、あめぞう、あやしいワールドの凋落、及び「西鉄バスジャック事件」等でマスコミへの露出が増えたことから、そのユーザー数を着実に増やしていた。 そのユーザー数の増大は転送量の増加という結果を招き、結果、サーバー運営費をまかなうことが困難となっていった。
- 2001年8月25日1時49分、夜勤★(サーバー運営者)が「みんなはさーん」の書き込み。以降、次々に掲示板閉鎖。時間が経つにつれてひとつ、またひとつと板が消えていく様はドラマティックな雰囲気さえ漂い、住人たちを心理的にも追い込んでいった。
- 同日8時23分、UNIX板に「2ch閉鎖の危機なんだと」というスレッドが立つ。
- 以後、当スレッドにユーザーが集まり、善後策を検討。
- 同日16時48分、Perlerという固定ハンドルが、スレッドにてread.cgiの改善案を提出。
- 同日19時52分、夜勤が該当スレッドにてread.cgiのコードを公開。以後、公開されたコードと改善案を元に作業を進める。
- 同日23時頃、改良read.cgiが完成。テストをすることなく直接サーバーに実装された。数回の失敗をはさんで、最終的には「目に見えて分かる」ほどに転送量が改善された。全板の復旧までは数日かかったものの、結果、2ちゃんねるは閉鎖の危機を脱することとなった。
[編集] 事件後
- この事件を受け、転送量の削減を図るためread.cgiを介さず直接サーバーのデータを読み取る「2ちゃんねる専用ブラウザ」が普及した。
- 運営、ユーザーが一体となり2ちゃんねるの危機を脱した、という意味において稀有な事例であった。「匿名同士の人間たちがお互いに協力し合い、コミュニティーを救い出した」劇的な様子は、現在も「伝説」として広く語り継がれていると共に、のちの2ちゃんねる全盛期突入の象徴的な出来事にもなったのである。
- しかし、これはより性能のよいプログラムを無償で入手するための、運営側による自作自演ではなかったのか、という指摘もある。
- 危機脱出後は、一時期、板がひとつひとつ消えていく様子が「夜勤★の過剰演出だった」とバッシングされた。現在も「閉鎖するために板を一つ一つ時間を置いて消していく必要があったのかどうか」は疑問が残っている。
- この事件を受け、定期的にUNIX板には感謝の意を表明するスレッドが(主に事件を最近知った初心者によって)建てられるが、これはいわゆる「板違い」の行為であり、一般に叩かれる傾向にある。
- ちなみに現在、板分割やcgiの改良、専用ブラウザの普及活動などが活発に行われているが、2chの転送量全体は8月危機の転送量を大幅に上回るギリギリの状態が続いている。