黒田長韶
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黒田 長韶(くろだ ながつぐ、寛政元年閏6月13日(1789年8月4日) - 天保11年2月26日(1840年3月29日))は、筑前秋月藩の第9代藩主。父は第8代藩主・黒田長舒(長韶は次男)。母は松平忠啓の娘・大円院(美須子)。正室は松平直恒の娘・寿光院(兼子)。側室に内藤氏。小山田氏など。官位は従五位下。甲斐守。
1789年閏6月13日、江戸新堀の藩邸で生まれる。1807年に父が死去したため、翌年4月9日に後を継いだ。本家の福岡藩の藩主である黒田斉清は幼少のため、長韶が補佐して長崎警備も務めたが、長韶には家臣団を統率できる力がなく、家臣の間小四郎らに専権を振るわれ、不正を働かれるという有様であった。このため逆に、福岡藩から監督的な指導を受けている。
1830年10月6日、養嗣子の黒田長元に家督を譲って隠居し、1840年2月26日に秋月で死去した。法号:竜徳院楽斎文水。墓所:朝倉市秋月の古心寺。