黒田利則
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黒田 利則(くろだ としのり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。黒田孝高(官兵衛)の異母弟。黒田二十四騎の一人。
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時代 | 戦国時代から江戸時代前期 | |||
生誕 | 永禄4年(1561年) | |||
死没 | 慶長17年(1612年) | |||
別名 | 甚吉(幼名) | |||
諡号 | 養翁 | |||
戒名 | 宗源院 | |||
官位 | 修理亮 | |||
氏族 | 黒田氏 | |||
父母 | 父:黒田職隆、母:神吉氏 | |||
兄弟 | 兄:黒田孝高、黒田利高 弟:黒田直之 |
永禄4年(1561年)、黒田職隆の子として生まれる。羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕え、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いに参戦する。関ヶ原の戦い後、甥の黒田長政が福岡藩主になると、1万2000石を与えられた。
慶長17年(1612年)に死去。享年52。