鹿島守之助
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鹿島 守之助(かじま もりのすけ、1896年2月2日 - 1975年12月3日)は元鹿島建設株式会社会長・元鹿島平和研究所会長・外交史家・法学博士・文化功労者。外交官出身の異色の経営者。勲一等
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[編集] 経歴
兵庫県揖保郡半田村新在家(現在のたつの市揖保川町新在家)に父・永富敏夫の四男としてうまれる。生家は江戸時代土地の庄屋を勤め名字帯刀を許された家柄だった。兵庫県立龍野中学、第三高等学校、東京帝国大学法学部を卒業後、外務省に入省した。国際平和に貢献があった人物に「鹿島平和賞」を表彰するなど文化的活動でも知られる。鹿島平和研究所が明治百年記念事業として企画し発刊した『日本外交史』全38巻により文化功労者の表彰を受けた。拓殖大学名誉教授、国際法学会理事、日本国際問題研究所会長、日本国際連合協会理事、経団連理事等を歴任。
生家は江戸時代後期の代表的な建物として1964年兵庫県の文化財、1967年国の重要指定文化財に指定された。
[編集] 年譜
- 大正9年 東京帝国大学法学部卒。
- 外務省入省。通商局、ドイツ大使館、欧米局、イタリア大使館等に勤務。
- 昭和2年 鹿島精一長女卯女(うめ)と結婚。
- 昭和9年 東京大学より「世界大戦原因の研究」で法学博士号取得。
- 昭和13年 鹿島建設株式会社社長に就任
- 昭和17年 大政翼賛会調査局長。
- 昭和28年 参議院議員当選。自由民主党外交調査会副会長。
- 昭和32年 国務大臣北海道開発庁長官、厚生大臣臨時代理に就任。
- 昭和34年 『日本外交史』『日本外交政策の史的考察』により学士院賞受賞。藍綬褒章、参議院外務委員長。
- 昭和36年 自由民主党外交調査会長。
- 昭和39年 紺綬褒章。
- 昭和41年 勲一等瑞宝章。自由民主党外交調査会顧問。
- 昭和48年 『日本外交史』刊行に対し大平外務大臣より表彰。文化功労者。
[編集] 主要著書
- 『世界大戦原因の研究』(岩波書店, 1937年)
- 『日英外交史』(鹿島研究所, 1957年)
- 『日本外交政策の史的考察』(鹿島研究所, 1958年)
- 『日米外交史』(鹿島研究所出版会, 1958年)
- 『ビスマルクの外交政策』
- 『日本の平和と安全』
- 『鹿島守之助外交論選集』
- 『日本の外交-過去と現在-』
- 『日本の外交政策』
- 『日本外交史』
- 『私の事業と信条』
- 『現代の建設』
- 『わが経営を語る』
- 『わが回想録』
- 『想像の生活』