鴛鴦歌合戦
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鴛鴦歌合戦 | |
監督 | マキノ正博 |
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脚本 | 江戸川浩二 |
出演者 | 片岡千恵蔵、市川春代、志村喬 |
音楽 | 大久保徳二郎 |
配給 | 日活 |
公開 | 1939年12月14日 |
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鴛鴦歌合戦(おしどりうたがっせん)は日本映画。1939(昭和14)年日活京都作品。監督はマキノ正博
目次 |
[編集] あらすじ
堅苦しい宮勤めを嫌って、貧しくとも気楽に生きる浪人浅井禮三郎と、彼を巡って、恋人のお春、資産家香川屋の娘おとみとの恋の鞘当に、骨董狂いのお春の父、志村狂斎。同じく骨董マニアのバカ殿、峯澤丹波守。あくどい骨董商、六兵衛。禮三郎に娘藤尾の縁談を進める遠山満右衛門などの多彩な人物がからみ、笑いあり恋あり涙ありの物語は、禮三郎とお春とが結ばれるハッピーエンドまで、全編楽しい歌でつづられる。
[編集] 概説
元来お正月映画用として「弥次喜多・名君初上り」が予定されていたのが、主演の片岡千恵蔵の急病で、急きょ、同じスタッフとキャストで作られた。脚本はマキノ監督が江戸川浩二(おそらく当時人気のあった推理小説家江戸川乱歩をもじった変名と思われる。)名義で担当し、撮影は名カメラマン宮川一夫。音楽は服部良一門下の逸材でテイチクレコード専属の大久保徳二郎。テイチク専属の人気歌手ディック・ミネと服部の妹服部富子とが特別出演。
早撮りのマキノ雅弘にふさわしく1週間ほどで出来あがった。底抜けに明るい世界の映像と音楽とが完璧な調和を見せている。短期間で出来たのが奇蹟であるが、そのこと自体が当時の日本映画の質の高さを窺う事ができる。
ストーリーに歌が入るシネオペレッタである。日本でもアメリカのミュージカル映画(『ジャズシンガー』『巨星ジークフェルド』)やドイツウーファーのシネオペレッタ(『会議は躍る』『ガソリンボーイ三人組』)の影響を受け、トーキー初期から『うら街交響楽』『百万人の合唱』などの作品がつくられていた。『鴛鴦歌合戦』もその一つであるが、時代劇に設定し、江戸時代の登場人物が当時最先端のジャズ(当時のポピュラー音楽の総称)に歌い躍る。 特に冒頭部の峯澤丹波守が家来たちとスウィングに乗って歌いながら登場するシーンでは、その斬新さに現代の映画ファンを驚かせた。
急きょ作った作品だけに、人物名も、俳優の名前を活かしたある意味ではいい加減なものだが、その軽さが映画と合っている。
マキノ正博の自叙伝では、志村喬の歌声があまりにも上手いので、共演者の名歌手デイック・ミネが真剣に歌手デビューを勧めたとある。志村は1952(昭和27)年の『生きる』(監督黒澤明)の主人公役でも『ゴンドラの唄』を上手く歌っている。
2005年12月「伝説のサムライオペレッタ」の副題で日活よりDVDが発売された。(DVN-125)
[編集] キャスト
- 浅井禮三郎 片岡千恵蔵
- お春 市川春代
- 香川屋宗七 香川良介
- 志村狂斎 志村喬
- 遠山満右衛門 遠山満
- 道具屋六兵衛 尾上華丈
- 炭屋 藤村平三郎
- 小間物屋 竹林大八郎
- 酒屋 嵐壽之助
- 米屋 阪東薪太郎
- 乾物屋 石丸三平
- 家臣松田松助 石川秀道
- 同檜山 近松竜太郎
- 同武林 福井松之助
- 同柳川 冨士咲実
- 同椿 大崎史郎
- 三吉 小林三男
- 医者 河瀬昇二郎
- 藤尾 深水藤子
- おとみ 服部富子
- 峯澤丹波守 ディック・ミネ
[編集] スタッフ
- 監督 マキノ正博
- 脚本 江戸川浩二(マキノ正博)
- 撮影 宮川一夫
- オペレッタ構成・作詞 島田磐也
- 音楽 大久保徳二郎
- 主題歌『鴛鴦歌合戦』
- 作詞 島田磐也
- 作曲 大久保徳二郎
- 歌デイック・ミネ、服部富子