高島友武
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高島 友武(たかしま ともたけ)は、日本の陸軍軍人、華族。拓務大臣・陸軍大臣を務めた高島鞆之助の養嗣子で、階級は陸軍中将に昇り第19師団長を務める。勲等は勲一等功三級。
高島は明治31年11月25日に陸軍士官学校(旧10期)を卒業し、翌年の6月27日に陸軍歩兵少尉に任官する。同期に松木直亮・川島義之・西義一・植田謙吉。歩兵将校として累進し、明治38年5月2日に歩兵第6連隊長に就任、日露戦争に従軍する。この時の階級は陸軍歩兵中佐。その後明治41年12月陸軍大佐・歩兵第8連隊長。近衛歩兵第1連隊長、近衛歩兵第2連隊長を経て大正3年5月11日陸軍少将・歩兵第19旅団長。大正7年7月24日、陸軍中将に進み立花小一郎の後を受けて第19師団長に就任する。第19師団は日露戦争後に併合した韓国の守備を目的に大正4年12月に羅南で編制された新設師団で、高島は第2代師団長である。師団長在任中の大正9年12月25日に勲一等旭日大綬章を受章、翌年の大正10年7月20日予備役となる。高島家は昭和18年5月25日、爵位を返上する。
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