高倉みゆき
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高倉 みゆき(たかくら みゆき。本名:東道子(旧姓・和田)、1934年3月28日 - )は、日本の女優。千葉県銚子市出身。
銚子高校卒業後、1953年東宝に入社するが、大部屋扱いされる。55年、東映京都に入社。本名で「紅孔雀」でデビュー。
57年、新東宝の社長大蔵貢にスカウトされ同年7月、新東宝入社。同年、「戦雲アジアの女王」で初の主役を演じる。58年は「天皇・皇后と日清戦争」、59年は「明治大帝と乃木将軍」でまた皇后を演じ、皇后女優と呼ばれた。
1960年初めまで主演スターとして大活躍したが、大蔵との仲がおかしくなる。同年、主役に予定されていた「大学の竜と女王蜂の怒り」の主役を降ろされ、さらにラジオ東京テレビの2本のテレビドラマも大蔵のせいでつぶされた。このことでマスコミが殺到。同年7月、大蔵は記者会見の席上、「女優を二号にした」と記事にあるが、「女優を妾にしたのではない、妾を女優にしたのだ」と発言して大スキャンダルとなる。同年、新東宝を退社してフリーになる。新東宝の経営はさらに悪化して61年には倒産。
このスキャンダルによって女優としての名声を失ったが、以後、舞台、テレビ、映画に助演として出演。64年に日本テレビ出版部長と結婚。69年に引退。