食糧管理制度
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食糧管理制度(しょくりょうかんりせいど)は、日本における主食である米や麦などの食糧の価格や供給等を国が管理する制度をいう。1942年(昭和17年)制定の食糧管理法(いわゆる食管法)に基づき創設された。同法は1995年に廃止され、代わりにいわゆる食糧法が制定されたことを受け、食糧管理制度の呼称も食糧制度と改められた。また、2004年にはその食糧法に大幅な改正がなされるなど、制度の内容は時代と共に大きく変化してきている。
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[編集] 食糧管理法(昭和17年法律第40号)
1942年の東條内閣の頃に制定された。内容は、食糧の生産・流通・消費にわたって政府が介入して管理するというものであり、目的は食糧の需給と価格の安定である。
[編集] 食糧管理法廃止に至る要因
- 平成「米騒動」
1993年(平成5年)に起こった「1993年米騒動」の影響で同年後半から翌1994年にかけて日本国内の米が著しい供給不足(当時よく用いられた表現では「コメ不足」)となり、価格の暴騰・外国産米の緊急輸入などが起きて食糧管理制度の脆弱性に対する非難が増加した。このため、政府による管理を強化する一方、農家でも米を直接販売できるようにするなど、政府はそれまでの方針と異なる方向への運用改善を余儀なくされた。この政府の管理は食管法が廃止される直前の1995年10月まで続けられた。
- 米の輸入
1995年(平成7年)、米の市場開放で、アメリカから米を輸入するようになる(ミニマム・アクセス)。しかし、その米は日本の国内消費でなく他国への援助の用途にだけ振り分けられた。
この二つの出来事は、結果として食糧管理法の廃止・食糧法の制定という大制度改革の要因となった。
[編集] 主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(平成6年法律第113号)
1994年(平成6年)12月14日、主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(いわゆる食糧法)が公布、一部の条項を除き翌1995年11月1日に施行され、これに伴い食糧管理法は廃止となった。また、制度の呼称としての「食糧管理制度」も内容の変更に沿って「食糧制度」に改められた。ただし、食糧管理特別会計・食糧管理勘定など、一部の用語には「管理」の文字が残った。
食糧法の施行により、農家が自由に米などの作物を販売出来るようになった。これはその後の米輸入解禁に備え、あらかじめ自由に米を流通させることで日本国内の農家の競争力・対応力の向上を目指したものである。一方で、政府による管理は緩和されることとなった。
[編集] 減反政策
1970年代に食生活の変化の影響で米が余るようになり、備蓄米が年間生産相当量まで達する事態も生じた。このため政府が主導して減反政策を推進してきたが、2004年に方針を転換し同政策をやめることとなった。
[編集] 2004年の大幅改正
食糧法を大幅に改正する主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律等の一部を改正する法律(平成15年法律第103号)が2004年(平成16年)4月1日に施行され、従来からの農業従事者に限らず誰でも自由に米を販売したり流通させることが出来るようになるなど、1995年の食管法廃止・食糧法制定に匹敵するような制度改革が実施された。この大幅改正後の食糧法は、それまでの食糧法と区別するため「新食糧法」あるいは「改正食糧法」と呼称される。