雷門獅篭
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雷門 獅篭(かみなりもん しかご、1971年8月12日 - )は、静岡県浜松市生まれの落語家、漫画家。関東学院大学中退。出囃子は「酒場でDABADA」。
- 1994年6月に落語立川流Aコースに入門し、立川 志加吾(たてかわ しかご)と命名される。
- 1998年、漫画『山遊亭海彦』(原作立川談四樓、作画さだやす圭)の5巻巻末「おまけ漫画」がきっかけとなり、同社「週刊モーニング」に漫画『風とマンダラ』を連載開始。漫画家としてデビューする。
- 1999年7月より2002年5月(No.142)まで、師匠である立川談志が「Web現代」に連載する『立川談志世相講談』のカットを担当する。また2002年4月にはNHKBS2の番組「金曜アニメ館」の司会を担当した。(2003年3月まで)
- しかし2002年5月、第三次前座全員破門騒動により立川流を破門となる。その後一部の活動を「CHICAGO」の名前で継続するも、立川流関連の連載は全て休止となる。
- 2003年5月に破門者の復帰試験が実施され、受験するも不合格。
- 2003年8月、名古屋近辺で活動する噺家雷門小福の門下に移り、雷門獅篭と改名。
- 2004年11月13日、「第一回名古屋雷門祭り」を以て二つ目に昇進。
(但し、実際に昇進が決定したのは2005年8月〜2006年3月)
- 2005年3月 マガジンハウスより「名古屋式。」を出版。
- 2006年9月号(実売8月)より、実話系4コマ漫画誌「本当にあった笑える話」(ぶんか社)に『雷とマンダラ』を連載開始。
- 現在、名古屋大須演芸場を中心に活動中である。
[編集] その他
落語立川流を破門された後、名古屋近辺にやってきたの理由は、出身地の浜松市に近い事からである。同時期に破門された立川談号(現雷門幸福)が岐阜県各務原市出身、当時の雷門獅篭の妻が三重県出身という事から、3人で相談して決めたという。
雷門小福は弟子を取らない噺家であり、入門は困難であった。しかし、小福の「東京で漫画を描いている噺家がいる。その噺家なら使えるかも。」という言葉がきっかけで入門が許された。志加吾という名前に愛着があった為、改名の際立川談志と相談。しかごという読みのまま別の漢字なら良いという事から雷門獅篭と名乗る。