難波別院
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難波別院(なんば べついん)は大阪市中央区にある真宗大谷派の別院(別格寺院)。通称 南御堂(みなみみどう)。本尊は阿弥陀如来。
1591年(文禄4年)、本願寺第12世(真宗大谷派初代)教如の創立で、1602年(慶長7年)に京都・烏丸六条の地に東本願寺が建立されるまでは、当寺は同派の本山であった。京都に東本願寺が建立されて以後も、大坂における同派の第一の拠点寺院として商人をはじめとする同地の門徒の篤い崇敬を集めるとともに、「南御堂」、「難波の御堂」と称されて、広く人々に親しまれ現在に至っている。大阪市内の中心を南北に走る御堂筋の名は、南御堂と北御堂(浄土真宗本願寺派の津村別院)とを繋ぐ道であったことに由来する。
もとは1714年(正徳4年)建立の二重屋根の壮大な本堂(京都の本山真宗本廟〈東本願寺〉の現在の御影堂が明治時代に再建されるに際し、その結構を模したとされる)が威容を誇っていたが、第二次世界大戦末期、1945年(昭和20年)3月の戦災で焼失、現本堂は1961年(昭和36年)再建の鉄筋コンクリート製。規模は縮小したものの、建築様式に往時の姿を留めている。境内地に同派の大阪教区教務所、教化センター会館が併設されている。また、同寺の山門の役割も果たす御堂会館は、ビジネス・文化活動等の会場として広く一般の利用にも供されている。
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[編集] 歴 史
- 1591年(文禄4年) - 教如、大坂・渡辺の地(現在の大阪市北区の天満橋と天神橋の中間地点付近の大川のほとり)に大谷本願寺を開創。
- 1592年(文禄5年) - 「大谷本願寺 文禄丙申五暦」銘の梵鐘を鋳造(現存)。
- 1583年(天正11年) - 豊臣秀吉、石山本願寺の地に大坂城を築城。城下町の町制と整備とに着手。
- 1598年(慶長3年) - 秀吉の命により、大谷本願寺が現在地に移転(同じ時に、西本願寺の津村別院が建立される)。
- 1714年(正徳4年) - 幕府から旧大坂城の外堀の石垣の寄進を得て、淀川の砂を用いて大規模な地盛りをし、二重屋根の本堂を建立。
- 1945年(昭和20年) - 戦災により焼失。
- 1961年(昭和36年) - 現本堂の再建供養なる。同年、御堂会館竣工。
- 1964年(昭和39年) - 本堂地下研修ホール完成。
- 1969年(昭和44年) - 南館を増築。
[編集] 文化財
- 梵鐘(「大谷本願寺 文禄丙申五暦」銘)
[編集] 住所・アクセス
- 〒541-0056 大阪市中央区久太郎町4-1-11
- TEL(06)6251-5820(代表)
- FAX(06)6251-1868
- 地下鉄御堂筋線本町駅8号出口南へ200m
- 地下鉄中央線本町駅13号出口南へ50m