阿部定事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿部定事件(あべさだじけん)とは仲居であった阿部定が1936年5月18日に東京都荒川区尾久の待合茶屋で、性交中に愛人の男性を扼殺し局部を切り取った事件。事件の猟奇性ゆえに、事件発覚後及び阿部定逮捕(同年5月20日)後に号外が出されるなど、当時の庶民の興味を強く惹いた事件である。津山事件の犯人が興味を示していたと言われている。現在でも日本では多くの人が「阿部定」という単語を聞けばこの事件を想起できるほど、知名度は高い。
目次 |
[編集] 犯人
阿部 定(あべ さだ、1905年5月28日生まれ)。東京市神田区新銀町(現在の東京都千代田区神田多町)出身。
[編集] 概要
[編集] 事件発生
- 芸者や娼婦などをしながら各地を転々として暮らしていた阿部定は、ある料理屋の女中として働き始めその店の主人と知り合い一目惚れをする。店の主人も次第に阿部定に惹かれ次第に二人は関係を持つようになり他人に気づかれないように店を離れ度々二人で会うようになる。
- その後、性交中に噛んだり軽く首を絞めながら行為を行うのが習慣になっていたが徐々にエスカレートし、その弾みで阿部定は店主を絞殺し、局部を切り取った後布団に「定吉二人キリ」、店主の脚に「定吉二人」、左腕に「定」と刻み逃亡する。
[編集] 逮捕
- 事件発生から三日後、都内の旅館で警察の事情聴取で犯行を自供し逮捕される。警察の取調べにより自分も死ぬつもりだったと供述した。また、逃亡直後に会った知人の男性はなんらかの関係があると見て取調べを受けている。
- 裁判の結果、事件は痴情の末と判定され、阿部は懲役6年の判決を受けて服役、1941年に「皇紀紀元二千六百年」を理由に恩赦を受け出所している。
[編集] その後
- 釈放後、名前を変え市井で一般人としての生活を送っていたが、終戦直後『昭和好色一代女 お定色ざんげ』と言う書籍が出版され、著者と出版社を名誉毀損で告訴した。さらに、その後この事件を基にした劇や映画も製作されている(後述)。
- それまでは婚約者にも自分の過去を隠していたが、この事がきっかけで再び各地で色々な仕事を転々とするようになるも、1971年に置手紙を残し身内から忽然と姿を消し、以降の消息及び生死は不明となっている。
瀬戸内寂聴がNHK教育放送のラジオで語った所によると、事件後、芝居・見世物一座で本人が講釈し、模造の一物を見せる事もしていたらしい。
[編集] 作品
この事件を元にした数々の映画や小説なども製作された。
[編集] 映画
- 「明治大正昭和 猟奇女犯罪史」(1969)- 阿部定本人が登場し、インタビューに答えている。
- 「実録 阿部定」(1975)
- 「愛のコリーダ」(1976)
- 「失楽園」(1997)
- 「SADA」(1998)-ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞受賞
- 「愛のコリーダ2000」(2000)
[編集] 小説
- 「失楽園」
[編集] 愛のコリーダ
- 監督:大島渚。この作品は1976年に『L'Empire des sens』のタイトルでカンヌ国際映画祭で上映され好評を博し、世界各国で公開されるが、日本では大幅な修正が施されて上映された。その後、ノーカット版(正確には一部が修正された)が2000年に公開される。
- 1976年の初公開時、この映画の写真と脚本をまとめた単行本の著者と出版社がわいせつ文書販売罪で検挙されるも、裁判は被告人有利となり1982年東京高裁で検察の控訴が棄却され無罪が確定した。
[編集] 参考文献
- 前坂俊之編『阿部定手記』(中公文庫、1998.2 /ISBN 4122030722)