長野県上田東高等学校
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上田東高等学校 | |
国公私立の別 | 公立(県立) |
設立年月日 | 1892年(明治25年)5月10日 (小県蚕業学校) |
建学の精神 | |
共学・別学 | 男女共学 |
教育課程の特例 | なし |
特殊学級 | なし |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒386-8683 |
長野県上田市常田3丁目5-68 | |
電話番号 | 0268-22-0101 |
FAX番号 | 0268-23-5170 |
外部リンク |
長野県上田東高等学校(ながのけんうえだひがしこうとうがっこう)は、長野県上田市にある公立高校である。
蚕(かいこ)の農家を育成するための学校小県蚕業学校として開校、学制改革の第2段階6・3・3・4制実施による高校発足後も継承していたことでわかるように蚕業授業が主体だったが現校名に改称後普通科主体に移行しまもなく廃止されている。
文化祭は「あずま祭」と称し、その名称は校名に由来する。
目次 |
[編集] 沿革
- 1892年(明治25年)5月10日 - 小県蚕業学校として開校。
- 1901年(明治34年)4月1日 - 県立に移管。長野県甲種小県蚕業学校に改称。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 長野県上田農業学校と改称する。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、長野県小県蚕業高等学校となる。農業科、林業科、蚕業科を置く。定時制課程を併設。塩田、青木、浦里、泉田、傍陽の分校を設置。
- 1957年(昭和32年)3月31日 - 泉田分校を廃止。
- 1960年(昭和35年)3月31日 - 青木分校を廃止。
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 普通科を設置。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 校名を長野県上田東高等学校に改称。
- 1963年(昭和38年)3月31日 - 蚕業科廃止。開校以来の伝統だった蚕業授業が消滅。
- 1965年(昭和40年)3月31日 - 浦里、塩田、傍陽分校を廃止。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 家政科を設置。
- 1969年(昭和44年)3月31日 - 定時制課程を廃止。
- 1974年(昭和49年)3月31日 - 農業科、林業科、家政科を廃止。完全普通校となる。
- 1988年8月 - 野球部が甲子園に出場。(2回戦:広島商3-4)
[編集] 教育目標
- 自由な精神と責任・規律を重んじる態度を養う。
- 平和で民主的な社会をにない、国際社会に生きてゆくために必要な知識と正しい判断力を養う。
- 教育諸活動への主体的な取り組みを通して、自主性・創造性・協調性に富んだ個性豊かな人格の形成をめざす。
[編集] 出身者
[編集] 校章
- 桑の葉3枚を放射状に配置し、中心に高の文字。