長崎バスジャック事件
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長崎バスジャック事件(ながさきばすじゃっくじけん)とは1977年(昭和52年)10月15日に発生したバス乗っ取り事件である。なお「バスジャック」であるが、これはもともと「ハイジャック」の意味を勘違いしたことから生まれた和製英語であり、本来ならば「バス・ハイジャック」が妥当であるが、そのまま定着しているためそのままとする。
この事件は2人の犯人によって起こされたが、人質は後に無事救出されたが犯人の1人は射殺された。
[編集] 事件の概要
1977年10月15日午前、長崎県平戸市から長崎市に向けて運行中の西肥自動車の路線バスが途中の大村市内を走行中、「阿蘇連合赤軍」を名乗る2人組の男性に乗っ取られた。その後バスは給油のため長崎市内のガソリンスタンドに立ち寄ったが、スタンド従業員からの通報を受けた警察はバスのエンジンスターターを不作動にする措置を行い、バスを包囲した。
犯人は赤軍派を名乗ったが、実は赤軍派ではなく、ただ赤軍派を模倣しただけの行き当たりばったりの犯行であった。だが警察側は話し合いによる平和的解決ではなく、人質に危険が及ぶのを承知の上での強行突破による解決法を選択した。人質の体力が限界に達したとして、事件発生後18時間たった翌16日午前4時25分に長崎県警は強行突入し犯人2人に一斉射撃した。主犯(当時31歳)は射殺され、もう1人(当時39歳)も重傷を負ったが、人質の乗客は無事救出された。
生き残った犯人には懲役6年が言い渡された。
[編集] 問題点
犯人射殺で事件が解決したのは「瀬戸内シージャック事件」以来2件目であるが、犯人の要求が乗客5人の解放と引きかえに食料・水を要求したり、「法務大臣と新自由クラブ代表(当時の野党)を連れてこなければ交渉には応じない」とコメントしたりと、早い時点で赤軍派とは無関係と判断できる材料があった。本事件の2週間ほど前の9月28日には赤軍派による日航機ハイジャック事件(ダッカ事件)が起こっており、それから間もない時期の強行救出策であったことで、赤軍派テロに対する断固強行姿勢を内外に示す意図が疑われ、「政治的判断の強い救出策」という批判もあがった。
[編集] その他
2000年の西鉄バスジャック事件が本事件と混同されているケースが多い。事実、サーチエンジンで「長崎バスジャック」を検索すると、このようなケースが検索結果として多く出てくる。