長岡空襲
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長岡空襲(ながおかくうしゅう)は、1945年8月1日の日本時間午後10時30分に、アメリカ軍により行われた空襲。新潟県長岡市の中心部市街地を標的に焼夷弾が大量に投下された。これにより中心部市街地の約8割が焼失し、1470人余りが死亡した。
これを慰霊して平潟神社には長岡市戦災殉難者慰霊塔が建立された。また、長岡駅の駅前に大手通には長岡戦災資料館が開館している。
目次 |
[編集] 被害状況
- 罹災時の人口(1945年7月) 74,508人
- 爆撃機の数 125機(テニアン島第313航空団)
- 投下爆弾量 E46収束焼夷弾925トン(約163,000発)
- 死者数 1,470人余り
- 罹災戸数 11,986戸
[編集] 経過
※日時はいずれも日本時間
[編集] 航空団の動き
1945年8月1日
- 15:03~17:40 テニアン島離陸
- 18:18~20:58 硫黄島上空通過
- 21:16~22:37 日本本土上空到達
- 22:35~23:58 長岡市上空
- 23:06~翌00:28 日本本土離脱
1945年8月2日
- 05:33 - 07:42 テニアン島着陸
[編集] 現地の動き
1945年8月1日
- 21:06 長岡市に警戒警報発令
- 22:26 警戒警報が空襲警報に変わる
- 22:30 焼夷弾爆撃始まる
1945年8月2日
- 0:10 空襲終了
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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