長寿院盛淳
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長寿院 盛淳(ちょうじゅいん もりあつ)は、戦国時代の武将。島津氏の家臣。本姓は「畠山氏」であり、守護大名畠山氏の分家と主張する。「長寿院」は出家した後の名乗りであるが、こちらの方が有名である。
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時代 | 戦国時代 | |||
生誕 | 天文17年(1548年?) | |||
死没 | 慶長5年9月15日(1600年10月21日) | |||
氏族 | 畠山氏 |
島津義久の側近として仕え、豊臣秀吉の九州征伐では和睦を主張し、秀吉と義久の関係を取り持ったと言われている。義久が隠居した後は島津義弘に仕え、1600年の関ヶ原の戦い本戦にも義弘に従って出陣する。そして義弘が敵中突破を行なったとき、義弘の影武者として戦死して果てた。