金英男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金英男(キム・ヨンナム)は、1978年に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致されたとされる人物。ただし、本人は拉致を否定している。北朝鮮の特殊機関に勤務しており、南北統一のための仕事をしているという。
日本政府が日本人拉致被害者であると認定した横田めぐみとの間に娘が一人いる(キム・ウンギョン)。また、再婚相手であるパク・チュンファとの間に息子が一人いる。
目次 |
[編集] 北朝鮮へと渡った経緯
2006年06月29日、第14回南北離散家族再会事業の中、金剛山のホテルで記者会見が行われた。そこでは、彼が北朝鮮に渡った経緯が以下のように説明された。
全羅北道群山の仙遊島海水浴場に遊びに行ったとき、小さな船に乗っているうちにうたた寝をしてしまい、気がついたときは沖に流されてしまっていた。海上を漂流している時、偶然北朝鮮の船に発見され救助された。
しかし地元漁民によると、仙遊島から漂流することはありえない話だという。[1]
また、この説明には、当時未成年であった少年が、親に連絡一つせずに他国への永住を決断するという、極めて不自然な状況が存在する。
[編集] 会見
この2006年の会見において、当事者国であるはずの日本のマスコミは参加を許可されなかった。また、参加を許可された韓国のマスコミも事前に質問事項を提出させられ、口頭での質問は受け付けなかった。
[編集] 主張
会見において、金英男は北朝鮮に拉致されたのでは、との質問を否定し「海で北朝鮮の船に救助され北に渡った」と回答した。また、横田めぐみの生存に関しては「1994年4月13日に病院で自殺した」と回答した(北朝鮮当局は、横田めぐみの死亡を1993年3月と回答している)。ただし、横田めぐみが死亡しているという明確な証拠・情報は、この会見でも出てこなかった。
また、彼は日本政府の調査によって横田めぐみの遺骨が本人の物ではないとの結果が出たことに関して、「偽物だという幼稚な主張は、夫である私とめぐみに対する侮辱であり、耐えられない人権蹂躙」と激しく非難した。
また、娘のキム・ウンギョンの日本行きには「行かせたくないし、本人も行かないと言っている」と反対の姿勢を示した。
「私と私の家族の問題が不純な政治的目的に利用されるのを防いでほしい」と発言し、拉致問題解決に向けて北朝鮮への圧力を強める日本を強く批判した。
[編集] 日本での反応
日本では、横田めぐみの両親、横田滋と横田早紀江は「会えたのは良かったが、複雑な思い」と感想を語った。 横田めぐみに関する新しい情報が公開されなかったことについては「北朝鮮の謀略や計画性が見え隠れするが、絶対に惑わされてはいけない」とし、冷静な対応を政府・国民に求めた。
当時の安倍晋三官房長官は、「北朝鮮で自分たちの考えをそのまま述べることはできない」として、日本政府の関係機関の調査によれば、金英男の証言にはいくつかの矛盾点があるとした。日本政府として、引き続き生存者の早期帰国、真相究明、容疑者の引渡しなどを求めるとした。
日本の主要メディアは、記者会見を北朝鮮当局の主張をなぞっただけのとする論評を発表した。 毎日新聞は、「金英男さんに事実を語れと言うのは無理な注文だ」として、会見の裏にある真実を見抜くよう韓国世論に注文した。読売新聞、産経新聞の社説は「北朝鮮で自由な発言ができるはずがない」とし、会見は拉致問題を膜引きする北朝鮮の糸が透けて見えると厳しく批判した。
[編集] 韓国での反応
会見に対しての韓国のメディア・世論の受け止め方は、28年ぶりの再会実現と高く評価しつつも証言内容を疑問視するなど、北朝鮮への期待感と不信感が混じり合ったものであった。
会見に対する日本の不信感一色という反応が同時に伝わった事で、北朝鮮に対する圧力を強める日本の態度は変えねばならない、と非難する論調も目立った。
韓国政府は「対北政策の一貫した努力の成果」と会見を評価した(金英男が拉致被害者であった事を突き止めたのは、日本政府によるDNA鑑定が決め手となっている)。また、横田めぐみの問題は日本だけの問題であり、韓国と日本が協力することではないとし、拉致問題解決に向けた日本との協力を否定した。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 韓国の歴史 | 朝鮮民主主義人民共和国の歴史 | 北朝鮮拉致事件