鄭芝龍
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鄭芝龍(てい しりゅう;Zheng Zhīlóng、1604年(万暦2年) - 1661年(順治12年))は、中国、明の武将、貿易商人(海商)である。字は飛黄。兄弟に鄭芝虎、鄭芝豹。鄭一官。
福建の南安(現在の福建省南安市)に生まれる。父の死後、母方の叔父を頼り、貿易を行う。1621年には江戸時代の日本へ来日。台湾や東南アジアと朱印船貿易を行っていた中国商人の李旦の傘下に加わる。
日本の平戸に住み、24年には日本人田川氏の娘マツと結婚。一族で台湾へ渡り、オランダ商館の通訳を務める。李旦、顔思斉らの死後に船団を引き継いで首領となり、南海貿易を行う。彼らは1千隻もの船を保有して武装化も進めるなど海賊としての側面も有していた。1626年からは福建沿海などへ遠征し、28年には厦門を占領。明の都督となり、一転して海賊討伐などに従事し、35年には劉香を討つ。
44年、李自成の乱などにより明は滅亡。45年には亡命政権である南明の福王から南安伯に封じられ福州の唐王隆武帝に従い、平虜侯、太師平国公となり、朱姓を授けられる。
46年には黄道周との対立などで南明政権から離れ、子の鄭成功らと別れて勃興した清朝に降伏する。鄭成功は父の勢力を引き継いで台湾に拠り、明の復興運動を行い清に抵抗する。芝竜は成功懐柔のため招愉を命じられるが、成功が応じずに寧古塔へ流罪となり、謀反律を問われて処刑される。