郡場寛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
郡場 寛(こおりば ひろし 1882年 - 1957年)は日本の植物生理学者。理学博士。名前は通称かん。
青森市栄町生まれ。父直世は酸ヶ湯温泉で温泉宿を経営。母フミは薬草を中心に八甲田山の植物を採取して標本を作り、全国の大学や研究機関に送った功績がある。
1900年、青森県第一中学校(現在の青森県立弘前高等学校)を卒業して上京し、1907年、東京帝国大学理科大学植物学科卒業。
京都帝国大学理学部植物学科創設に関わり、初代教授を務める。退官後、南方に渡り、第二次世界大戦中はシンガポールの昭南植物園園長を務め、徳川義親と共に同植物園を略奪や破壊から護り、また日英の科学者たちの交流に貢献、『ネイチャー』誌に取り上げられた。
戦後は弘前大学第2代学長や青森県文化財保護協会初代会長などを歴任。