追捕使
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追捕使(ついぶし)は令外官の一つで、警察・軍事的官職。初めは臨時の官職であったが、後に諸国に常設されるようになった。最初に設置されたのは932年(承平2年)で、当初南海道の海賊を掃討する目的で設置された。「追捕」は「追い捕らえる」の意で、元々軍事的役割を含んでいなかったが、海賊、反乱を鎮圧するという目的から、実際に戦闘に当たることが多かった。 追捕使になったものとしては、承平天慶の乱で藤原純友の乱の鎮圧に当たった小野好古が有名。
その後、諸国に常設されるようになると、国司を追捕使に兼任させたり、地方の豪族を任命したケースが多かった。12世紀末ごろになると、惣追捕使(総追捕使)として一国の警察・軍事的役割を担う官職があらわれ、追捕使の職務は引き継がれた。さらにその後、1190年に源頼朝が日本国惣追捕使に任命され、惣追捕使の任免権が鎌倉殿に移り、守護に発展していった。