近田豊年
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近田 豊年(ちかだ とよとし、 1965年12月11日 - )は、元プロ野球選手(投手)。高知県宿毛市出身。日本プロ野球史上唯一のスイッチピッチャーとして知られる。
[編集] 来歴・人物
中学時代は空手で全国大会出場の経験がある。もともと左投げであったが、左用のグラブが無かったため右投げで野球をやっていた。(ひとりで壁当てをやってる時に、シャレで本来の左投げではなく右でも練習していたことが、右でも投げられるようになったきっかけという話もある)明徳義塾高では左投げに専念、1983年に選抜大会に出場。
本田技研鈴鹿を経て、1987年に南海ホークス(現・ソフトバンク)にドラフト外で入団。入団テストで左右両投げを披露し、話題となった。左投げの際にはオーバースローで投げ下ろしていたが、右腕での投球フォームはアンダースローだった。左右どちらの手でも使える「6本指グラブ」が近田の為に特注され、スイッチピッチャーとスイッチヒッターが対戦する際には投手の側からあらかじめ投げる手を示すとする申し合わせが行われた。
1988年に一軍初登板。1991年に阪神に移籍し、同年に引退。一軍では1試合に登板したのみである。また、この登板では左投げのみでプレーしており、公式戦で両手投げを披露することはなかった。
引退後は関西に戻り、ゴルフのレッスンプロとして活躍。公式戦では「左右投げ」を披露することが無かったこともあって、2001年にFBS福岡放送のホークス応援特番の中で披露。当時二軍選手だった川崎宗則に左で、笹川隆には右で投げた。また、プロ野球マスターズリーグにも参加している。
[編集] 通算成績
- 1試合 0勝0敗0セーブ 1投球回 防御率9.00