許浚
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許浚(ホ・ジュン、허준、1546年 - 1615年)は、李氏朝鮮時代の医者。『東医宝鑑』の著者として知られる。本貫は陽川、字は清源、号は亀巌。
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[編集] 生涯
父許碖と母一直孫氏の間に庶子として生まれた。出生地は諸説あって定かではない。父と祖父の許琨はともに武官であった。宣祖の時、医科を受験して内医院に入り、王室の病気治療で功を立てた。1592年、壬辰倭乱(文禄の役)が勃発すると、御医(王の主治医)として義川にいたる逃避行に追従し、1604年、忠勤貞亮扈聖功臣3等の論功を受け、1606年には、陽平君に封じられた。1608年、宣祖の死の責任を取り、流刑に処されたが、翌年には光海君によって呼び戻された。1610年には、朝鮮第一の医書として名高い『東医宝鑑』を完成させている。
著書には他に『辟疫神方』『新纂辟瘟方』『諺解救急方』『諺解痘瘡集要』『諺解胎産集要』『脈訣集成』『纂図方論脈訣集成』などがある。
許浚の墓地は、京畿道坡州市津東面下浦里の臨津江を越えた非武装中立地帯にある。1991年、アメリカ在住の古文献学者、李亮載らが軍部の協力のもと発見した。1992年6月5日、京畿道記念物第128号に指定された。
[編集] 小説・ドラマ
1976年、李恩成(イ・ウンソン)が許浚の生涯を題材としてシナリオを書いた連続ドラマ「執念」がMBC(韓国文化放送)から放送された。李恩成はこれをもとに1990年、『小説 東医宝鑑』(ISBN 8936430173、ISBN 893643019X)を発表し、300万部を越えるベストセラーとなった。2000年には、『小説 東医宝鑑』を原作としてMBCが連続ドラマ「ホジュン」を放映し、韓国で63.5%の高視聴率を記録した。2003年には台湾で「医道:一代神医 許浚」という名で放映され、2005年には香港でも放映された。中国では2006年から正式放映される予定である。
『小説 東医宝鑑』は日本で『許浚 - 医の道に辿りつく』(桐原書店、2003年、ISBN 4342625814、ISBN 4342625822)として翻訳されている。
[編集] ストーリー
妾の子供として生まれ、密貿易・身分違いの結婚という大罪を犯した許浚が、逃亡先で師匠となる柳義泰(ユ・イテ:架空の人物)と出会ったことによって「心」医となる道を志し、多くの病人を救うために奮闘する。
[編集] 登場人物
ホ・ジュン/チョン・グァンリョル
イェジン/ファン・スジョン
イ・ダヒ/ホン・チュンミン
イ・ジョンミョン/イム・ホ
ユ・ウィテ/イ・スンジェ
ヤン・イェス/チョ・ギョンファン
ユ・ドジ/キム・ビョンセ
宣祖/パク・チャンファン -- 朝鮮第14代王
恭嬪/パク・チュミ --宣祖の第一側室
仁嬪/チャン・ソヒ --宣祖の第二側室
その他の人物たち
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 韓医学 | 韓国のテレビドラマ | 1976年のテレビドラマ