西箕輪学校校歌
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西箕輪学校校歌(にしみのわがっこうこうか)は長野県伊那市西箕輪にある伊那市立西箕輪小学校及び伊那市立西箕輪中学校の校歌である。
1919年(大正8年)、当時の西箕輪尋常高等小学校第11代校長の栗田時冶が作詞し、当時の伊那高等女学校(現長野県伊那弥生ヶ丘高等学校)にて音楽と英語の教鞭を執っていた清水勝蔵が作曲した。
前述の通り小中学校共通の校歌であり、中途で転校しない限り9年間同じ校歌を歌うこととなる。小学校では独自の振り付けをつけて運動会の全校マスゲームに使用している。中学校では中体連等の壮行会にて応援歌と共に歌われ、選手を鼓舞している。「東京西箕輪会」等と呼ばれる西箕輪地区出身者による郷土会の会合などでも歌われているようである。制定からほぼ90年を経ているため、西箕輪出身者は古老を含めて大概歌える。後述の通り文語調の歌詞であるため、小学校低学年児童の中には歌詞を間違っている者もいる。なお、中学校では1983年(昭和58年)当時、北原白秋の「落葉松」を第二校歌として制定していた。ただし「落葉松」に関しては生徒が歌うことは無くもっぱら教職員による混声四重唱曲として歌われていたに過ぎない。