蜂子皇子
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蜂子皇子(はちこのおうじ、波知乃子王、欽明天皇23年(562年) - 舒明天皇13年(641年))は、崇峻天皇の第一皇子、聖徳太子の従兄弟。出羽三山を開いたと言われている。
能除大師や弘海などの異名をもつ。地元(羽黒)の人たちの面倒をよく見ていたと伝えられている。残されている肖像画は、気味の悪いものが多いが、多くの人の悩みを聞いた結果そのような顔になったとも言われている。出羽三山神社にある皇子の墓は、粗末なものであるが、現在も宮内庁が墓を管理している。享年は91であったと言う説もある。
[編集] 経歴
- 562年(欽明23年)- 誕生。
- 585年(用明元年)- 聖徳太子の勧めにより宮中を脱出。
- 592年11月3日 - 父崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺される。
- 593年(推古元年)- 由良の八乙女の海岸にたどり着き、羽黒山を開山。3年間崖下の岩窟で修行。羽黒修験の元になったと言われる。引き続き、月山も開山。
- 605年(推古13年)- 湯殿山に湯殿山神社を建てる。
- 641年(舒明13年)- 羽黒で死去(享年80)
[編集] 関連項目
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カテゴリ: 飛鳥時代の人物 | 飛鳥・奈良時代の皇族 | 562年生 | 641年没