蛮社の獄
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蛮社の獄(ばんしゃのごく)とは、1839年(天保10)5月に起きた疑獄事件。
[編集] 尚歯会
蛮社とは、田原藩士渡辺崋山、高野長英、小関三英ら洋学者を中心に町医者・藩士・幕臣等有志の者が海防目的で蘭学や内外の情勢を研究していた尚歯会(しょうしかい)の事である。
モリソン号事件を知った長英が「戊戌夢物語」で幕府の異国船打払令に反対したことを、大塩の乱で神経を尖らせていた幕府目付鳥居耀蔵が敵視し尚歯会に目をつけていた。また、鳥居が、尚歯会員である幕臣江川英龍と江戸湾岸の測量手法を巡って争った際に、崋山の人脈と洋学による知識を借りた江川に敗れ、老中水野忠邦に叱責されたこともあって、鳥居は政敵としても警戒していた。
[編集] 逮捕と罰など
発端は「海外渡航をたくらんでいる者がいる」という尚歯会員による内部告発があったことによる。内容に信憑性が薄かったにもかかわらず事件化したことから、この告発そのものが鳥居による謀略と言われている。 崋山は逮捕、長英は自首した。小関三英は逮捕をまたず自殺した。同志の町人3人は取調中病死した。 「慎機論」などによる幕政批判の罪で崋山は伝馬町入牢ののち、国元蟄居(その後自殺)、長英は入牢となった。なお、「慎機論」は出版されてはおらず、家宅捜査時に草稿が発見されたものである。
幕府保守層や儒学者たちによる蘭学者に対する一大弾圧事件などではなく、尚歯会を敵視する鳥居が他の幕閣の容認のもと、単独で決行したのが真相である。また逮捕者十数名とはいえ、その中で蘭学者と呼べるのは長英だけである。これは長らく、蘭学弾圧事件として捉えられてきたが、これは明治期の藤田茂吉『洋学東漸史』が、当時の自由民権運動との類推で事件を捉えたからである。