藤原伊房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤原 伊房(ふじわら の これふさ、長元3年(1030年) - 永長元年9月16日(1096年10月4日))は、平安時代中期から後期にかけての公家。世尊寺流の能書家。祖父は権大納言藤原行成。父は参議藤原行経。
1031年(長元4年)従五位下に叙せられ、以後少納言・蔵人・木工頭・権左中弁などを歴任し、1069年(延久元年)6月に蔵人頭、12月に左中弁に任じられた。1072年(延久4年)に右大弁・参議となり、この時の官位は正四位上であった。1080年(承暦4年)権中納言に任じられ、1082年(永保2年)正二位に叙された。1094年(寛治8年)5月25日、遼と私貿易を行ったことをとがめられ、従二位に降格の上、停職を命じられたが、死去の直前に復位が許された。