藤井富雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤井 富雄(ふじい とみお、大正14年(1924年)8月17日 ‐ )は、日本の政治家。
[編集] 概要
1961年の都議選新宿区選挙区から初出馬し当選(連続11回)。1965年、都議選で与党・自民党を過半数割れに追い込みキャスティングボ-トを握る。1967年、藤原行正都議団団長の下で幹事長に就任。
1989年4月の都議選で社会党の躍進に貢献すると都議団団長に就任。1994年公明党が公明新党(衆院52人・参院改選期13人)と公明(参議院非改選期11人と地方議員3200人)で分党。その公明初代代表に就任した。本部は、旧党本部のままであった。
1995年7月の参院選で新進党が40議席を獲得する躍進すると公明が参院新進党の統一会派に合流し平成会を結成する。連立与党3党と共産党が12月、宗教法人法一部改正に修正採決し成立させた。
10月の衆院選で公明は、小選挙区は人物本位で山梨2区・堀内光雄、島根2区・竹下登など新進党意向(公明出身を除く)に反し自民党を支援した。比例区は新進党で選挙戦を戦い政権交代出来なかった。 自民党が負け越した結果・公明側への歩み寄り=自公連携だった。翌年の都議選以降に選挙協力が加速する。
1997年4月都議選で23人全員当選を果たすと、10月の新進党小沢一郎党首との指しの会談で新進党への合流を白紙撤回した。12月、新進党解党。
1998年1月、改選を迎える浜四津敏子副代表に代表を譲って退任し、常任顧問に就任し、参院公明(23人)を結成。11月、衆参統一の公明党再生で常任顧問に留任する。2004年の党大会では党最高顧問となる。翌2005年の都議選では地盤を新人・吉倉正美候補(現在都議)に譲り引退。
党内外ふくめた都議会の長老として東京都政全般に絶大な影響力を持った。さらには、都政のみならず国政にも太い人脈を有し、特に自民党の野中広務との関係は国会における「自公連立政権」実現に大きく寄与した。引退後、党最高顧問として党発展に尽力。2006年9月、最高顧問を勇退。2006年10月、党東京都本部顧問に就任。