薬師寺 (下野市)
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薬師寺(やくしじ)は、現在の栃木県下野市(旧河内郡南河内町)にかつて存在した仏教の寺院である。
奈良時代には、東大寺および観世音寺とともに、日本国内の僧侶を統制する国立三戒壇の一つに数えられ、東国の僧侶に戒律を授けて正式な僧侶の資格証明書である度牒を授け、中央戒壇(東大寺戒壇院)と西戒壇(観世音寺戒壇院)に対して東戒壇とも呼ばれた。一時期は道鏡が造寺別当(造寺司の長官)として中央から左遷されてくるなど、繁栄を極めたが、比叡山での戒壇設置と共に戒壇の需要が薄れ、次第に衰退していき、ついに戦国時代に小田原北条氏と結城多賀谷氏による戦渦に巻き込まれて焼失した。
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[編集] 伽藍
法隆寺のものと同じ規模の五重塔が中心伽藍から少し外れた位置にあるなど、独特の伽藍配置となっている。 中心の伽藍は南門、中門、金堂、講堂、僧房が直線に並び、金堂の背後、左右に戒壇と経蔵が配置されている。
また最近になり、初期の薬師寺の伽藍が明らかになり奈良県の飛鳥寺に次ぐ国内二例目の一塔三金堂式の伽藍になっていたことが分かってきた。しかし、戒壇と思われていた建物が金堂であったことが分かったため、戒壇院の位置がはっきりとしなくなってしまった。
まだ発掘が続けられている研究途上の遺跡である。
なお、近辺に鎮守として薬師寺八幡宮がある。
周辺の地名は薬師寺となっている。
[編集] 起源と歴史
- 朱鳥15年(700年)頃 下毛野古麻呂が創建
- 天平勝宝7歳(755年)頃 戒壇が設置される
- 宝亀元年(770年) 道鏡が造寺別当となる(772年没)
- 平安時代中期 焼失
- 鎌倉時代 慈猛が再興
- 暦応2年(1339年) 安国寺に改名
- 元亀元年(1570年) 小田原北条氏と結城多賀谷氏による戦乱に巻き込まれて焼失
[編集] 所在地
栃木県下野市薬師寺1636