菅原文時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
菅原 文時(すがわら の ふみとき、昌泰2年(899年) - 天元4年9月8日(981年10月8日))は、平安時代中期の文人・政治家。祖父は菅原道真、父は菅原高視。菅三品と称される。
文章博士から内記・弁官・式部大輔などを歴任している。954年(天暦8年)村上天皇が諸臣に政治に関し意見を求めた際、957年(天徳元年)意見奉事3ヶ条を提出している。981年(天元4年)1月に従三位に叙せられた。同年9月、83歳で没した。
「袋草紙」には、文時が不出来と考えていた詩文の草案を、門弟の慶滋保胤が逆に絶賛した記事が載せられている。「本朝文粋」のほか「扶桑集」「和漢朗詠集」に作品が残されている。