茨木サニータウン
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茨木サニータウン(いばらきさにーたうん)とは、大阪府茨木市の山間部を切り開いたニュータウン。住所(住居表示)は大阪府茨木市山手台1~7丁目。
[編集] 茨木サニータウンの概要
計画人口は1万2千人だったが現在の人口は数千人。阪急バスが東海道本線(JR京都線)茨木駅(いくつかは阪急電鉄茨木市駅)までラッシュ時頻繁に走っている。所要時間は茨木駅から終点・茨木サニータウンバス停まで約30分。
もともとの住所表示(大字)は安威、福井、大門寺など。もともと安威・福井から丹波へ超える山道が走る丘陵地で頂上に国見峠があり中央に長谷とよばれる谷のある地形だったが、関西電力系の土地会社・昭和土地開発によって1970年代前半から整地され、1978年に2~5丁目がまちびらきした。茨木市立山手台小学校、サニー幼稚園、第二末広保育園(現・山手台保育園)が当初からあり、1983年に茨木市立北陵中学校が開校した。(「陵」の字がつくのは、建設中に敷地内外で安威古墳群が発掘されたからである。)
1・3・5・6・7丁目が市内でも有数の敷地面積がある戸建住宅、2・4丁目と3丁目の一部は公団住宅、テラスハウス、教職員住宅などからなる。ショッピングセンター、銀行、郵便局など近隣商業地区があるが、住民が自動車で遠くまで買い物に行くので利用は伸び悩んだこともあった。
またまちびらきの際に第一次ベビーブーム世代が主に入居したため、住民世代が1940年代生まれと1970年代生まれの子供たちに偏り、子供たちが児童の頃に小中学校の学生数がピークを迎え、成人後まちを離れている人が多く、購入した世代も買い物や病院に不安を持つ年代となってきたため、家を手放し都心回帰する人も多い。典型的なニュータウンの高齢化・人口減少が起こっている。
なお、茨木サニータウンの北側から西側全体に、取り囲むように「国際文化公園都市(彩都)」の東地区が計画されている。7丁目の北側に「東センター」が建設され大阪モノレール彩都線の終点ができる予定である。ただし彩都東地区の着工・完成のめどは立っていない。
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