経絡治療
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経絡治療(けいらくちりょう)は、明治時代~大正時代を経て、日本の東洋医学は根底まで已に無きものとなっていたが、1934年(昭和9年)に漢方家達と共に柳谷素霊が「古典に返れ」をスローガンに漢方復興運動を行った。それ以後、素霊の教え子である岡部素道と井上恵理によってその意志がつがれ、古典的鍼灸の再興となったのが、この経絡治療である。
経絡治療のモデルとなったのは、柳谷素霊自身の鍼灸技術ではなく、茨城県で西村流の流れを組む八木下勝之助の臨床である。八木下が読んでいたのは『鍼灸重宝記』という江戸時代の鍼灸書であり、現在の経絡治療よりは少し中医学に近い対症療法的内容である。しかし、八木下の鍼灸は、脈診を行って後、手足の要穴に対して浅く軽く鍼をするだけで効果を出すというところが衝撃的な方法を用い、岡部に大いに影響を与えた。しかし、経絡治療の土台となる理論は『難経』六十九難であり、脈診によって得た診断結果を『難経』六十九難による発想を以て五臓のバランスを調整する。他にも『難経』七十二難の理論を用いる方法ある。
経絡治療は、東洋医学的な鍼灸そのものであったが、近年では数ある治療法の一つでしかないような扱いを受け、しかも経絡治療そのものが、スローガンと化してしまったようにも見える。しかし、忘れてならないのは、経絡治療こそは日本鍼灸を代表する伝統医学であり、中医学と比肩しても劣ることのないよう努力すべきでもある。
[編集] 主な治療内容
- 脈診:治療方針の決定(脈診と同時に問診)
- 本治法:随証療法(手足の要穴に鍼)
- 標治法:対象療法
- 脈診:予後の判断