粛州区
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各種表記 | |
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簡体字: | 肃州区 |
ピンイン: | Sùzhōu Qū |
片仮名転写: | スーチョウ・チュイ |
情報 | |
省級行政区: | 甘粛省 |
地級行政区: | 酒泉市 |
面積: | 3,386km² |
人口: | 34万(2002年) |
郵便番号: | 735000 |
市外局番: | 0937 |
自治体公式サイト: | {{{公式サイト}}} |
粛州区(しゅくしゅう/スーチョウ-く)は中国甘粛省酒泉地級市の区の1つ。シルクロード上にある主要な歴史文化都市である。前121年に西漢が郡を設けてから2100年を超える歴史を有する。
目次 |
[編集] 行政区画
市街は6街道で管轄され、農村は6鎮12郷を有する:
- 街道弁事所:東北街道、東南街道、西南街道、西北街道、新城区街道、工業園区街道
- 鎮:三墩鎮、西洞鎮、総寨鎮、上壩鎮、金仏寺鎮、清水鎮
- 郷:豊楽郷、果園郷、西峰郷、泉湖郷、銀達郷、懷茂郷、臨水郷、黄泥堡郷、下河清郷、屯升郷、東洞郷、鏵尖郷
[編集] 地理
河西回廊中間の西部、東経98度12分~99度18分、北緯39度10分~39度59分に位置する。平均海抜1765m。東西104km、南北84km,総面積3386km²。
[編集] 気候
典型的な大陸性気候で乾燥しており、降水は少く、蒸発が多い。寒暖の差は比較的大きく、日照時間は長く、砂埃交じりの風が多い。
[編集] 歴史
考古学的発見によれば新石器時代中期にはすでに人が酒泉へ定住していた痕跡がある。
『史記·黄帝本紀』には黄帝の時、其の土地「西は空桐に至る」と記載、『括地誌』の説明では、この山は酒泉の東南六十里にある。到大禹の時になって、天下を九州に画いて、酒泉を雍州の管轄下とした。
[編集] 名称の沿革
西暦前121年(漢武帝元狩二年)、漢の驃騎将軍霍去病が河西回廊を取った後、漢朝は武威、酒泉、張掖、敦煌の4郡を設置した。酒泉郡下には九県があり、今の粛州区は当時の縁福県にあたる。その後縁福県から名前が顕徳県、縁福県、福縁県、酒泉県と変わっていった。
[編集] 帰属
夏から戦国時代までは西羌。
東晋時、順に前涼、前秦、後涼、西涼、北涼の領地。西涼王李暠はかつてこの地を都とした。
他の時期は中央政権に属した。
[編集] 特産物
- 夜光杯
- 酒泉奇石
- 玉彫
- 毛絨毯
- 氷硝梨
[編集] 文化と観光
- 酒泉西漢勝跡
- 魏晋壁画墓
- 明代鐘鼓楼
- 甘粛省の行政区画
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