篠原信一
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男子 柔道 | ||
銀 | 2000 | 男子 100kg超級 |
篠原 信一(しのはら しんいち、1973年1月23日-)は日本の男子柔道家である。兵庫県神戸市長田区出身。血液型はO型。「篠」は、正式には「イ|」のない漢字(イメージとしては、竹かんむりがついた「条」に近い)である。
中学1年より柔道を始め、育英高等学校を経て天理大学に進学。大学生の時に才能が開花し、多くの大会を制覇した。得意技は大外刈り。外国人に負けない体格と技術、パワーを持つ。なお、オリンピックを三連覇した軽量級の野村忠宏は同じ大学の後輩であり、普段から冗談を飛ばし合うほど非常に仲が良い。段位は5段。現在、天理大柔道部監督。
[編集] 主な戦歴
- 1993年 全日本学生選手権優勝
- 1994年 講道館杯優勝
- 1995年 フランス国際優勝
- 1995年 幕張世界選手権(無差別級)3位
- 1997年 全日本選抜体重別優勝
- 1999年 全日本選手権優勝、バーミンガム世界選手権(100kg超級・無差別級)優勝
- 2000年 全日本選手権優勝
- 2000年 シドニー五輪100キロ超級準優勝
- 2001年 ミュンヘン世界選手権(100kg超級)3位
- 2003年 全日本選手権3位(この大会を最後に、現役を引退)
[編集] 誤審問題
シドニー五輪100キロ超級決勝で、フランスのダビド・ドゥイエと対戦した際に、ドゥイエが内股を仕掛けてきたの篠原は巧くすかして背中から畳にきれいに投げていた。本当は一本になっていた筈なのだが、主審と副審はドゥイエが内股を仕掛けたことに対し有効とした。もう一方の副審は篠原が内股すかしで一本、としていた。これによりドゥイエが勝ったということになったが、明らかな誤審であり、山下泰裕選手団監督が猛抗議したが受け入れられず、篠原は銀メダルに留まってしまった。そもそも試合開始からドゥイエが、再三肩越しから篠原の帯を掴む反則を繰り返し、篠原が自ら技を仕掛けられない状況に追い込み、篠原は返し技しか反撃の余地はなかったのだ。しかもこの反則を再三主審は見逃し続けた。(この後帯を掴む反則をとったのだが、ドゥイエがポイントで優勢になってからであった。)公正が問われるジャッジングであった。しかし、あえて篠原は潔く引き下がった。この後、このようなことが二度と無いようにする為、国際大会などの規模の大きい大会の試合の誤審を防ぐ為、勝者が分かりにくい試合の場合、ビデオ判定をし、また、審判が誤審していないかを試合前に検査し確認するなど、誤審を防ぐ為に全日本柔道連盟はビデオ判定の導入に国際的に力を入れている。
[編集] 関連項目
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