竹田街道
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竹田街道(たけだかいどう)は、京(京都市中心部)と伏見(京都市伏見区)をつなぐ街道の一つ。京の七口の一つとしてあげられることもある竹田口から、旧紀伊郡竹田村(京都市伏見区竹田)を通り、伏見港へとつながっていた。 奈良街道や大坂街道の一部とも位置づけられる。
現在でもなお京都市中心部と伏見市街を結ぶとともに、奈良方面へとつながる国道の一部として主要な幹線道路となっている。
[編集] 沿革
竹田街道は、江戸時代に拓かれたと言われる。車石が敷かれ、牛車による物資の輸送が行われていた。その車石の一部が陶化小学校に残されている。 明治28年に日本で初めての営業用の電気鉄道が、京都電気鉄道の手によってほぼ竹田街道に沿って京都駅から伏見京橋の間に敷設された。この路線は京都市電に引き継がれたが、昭和45年に市電全廃に先駆けて廃止された。 翌昭和46年に竹田街道は国道24号に指定された。
[編集] 現在の道のり
現在は京都府道115号伏見港京都停車場線(竹田街道十条より深草加賀屋敷町までは国道24号との重複)が竹田街道と呼ばれている。同府道は、竹田街道八条から伏見の外環状線までを結んでいる。
東洞院通の延長上にあるが現在は京都駅で断絶しているため、京都駅の北側へは高倉陸橋(通称・たかばし)によって塩小路高倉で高倉通とつながっている。
約1km東の山沿いを伏見街道が並行している。
[編集] 関連項目
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