稲葉一通
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稲葉 一通(いなば かずみち、天正15年(1587年) - 寛永18年8月16日(1641年9月20日))は、豊後臼杵藩の第3代藩主。父は第2代藩主・稲葉典通(一通は長男)。母は丹羽長秀の娘。正室は細川忠興の娘。青山忠俊の娘。官位は従五位下。民部少輔。
幼名は亀。1626年、父が死去したため、翌年3月に家督を継いで藩主となった。熊本藩の加藤忠広改易では木下延俊と共に八代城の在番を務めている。島原の乱後、不穏な政情に備えて九州における国境警備を命じられた。藩政においては城下町の整備や開発、社寺の建設に尽力している。1641年8月16日、55歳で死去し、後を子の稲葉信通が継いだ。墓所:東京都港区高輪の東禅寺。