稲むらの火
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稲むらの火(いなむらのひ)は、紀州廣村(現代の和歌山県広川町)で起きた故事と、それを題材にした物語。
1854年(安政元年)12月に発生した安政南海地震の際、津波の来襲に気付いた儀兵衛(後の濱口梧陵、作品中では「五兵衛」。ヤマサ醤油の当主)は、それを知らせるため、刈り取った稲に火をつけて住民を高台に避難させ、住民を津波の被害から守った、という内容である。
この話は、小泉八雲(旧名:Patrick Lafcadio Hearn)が著作「生ける神」(" A Living God ")の中で紹介したことにより、海外にも広く知られている。またこの物語は、同町の小学校教員中井常蔵によって学校教材用に再訳され、1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)まで、国定教科書である尋常小学校5年生用「小学国語読本巻十」と「初等科国語六」に掲載されていた。さらに、アメリカ・コロラド州の小学校でも、副読本として「稲むらの火」の英訳「The Burning of The rice Field」が使われていたこともある。
一般にもよく知られた話であるが、史実に基づいてはいるものの、実際とはかなり異なっている。儀兵衛が燃やしたのは稲の束ではなく、脱穀を終えた藁であった(津波の発生日が12月24日〈新暦換算〉で、真冬であることに注意)。また、儀兵衛が火を付けたのは津波を予知してではなく、津波が来襲してからであり、村人に安全な避難路を示すためであった。彼の偉業は稲むらの火よりは、被災後、将来再び同様の災害が起こることを慮り、私財を投じて防潮堤を築造した点にある。これにより広川町は、昭和の東南海地震・南海地震による津波に際して被害を免れることができた。