福島氏
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- 福島氏(ふくしまし)
- 福島氏(くしまし)
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[編集] 福島(ふくしま)氏
福島氏(ふくしまし)は日本の氏族。
桓武平氏が出自との話もあるが、市兵衛(正信)は尾張国のただの桶屋だったので、眉唾物ではある。源姓説も藤原姓説もある。
賤ヶ岳七本槍のうちのひとり福島正則が有名。豊臣秀吉の子飼いとして活躍し、尾張国清洲二十四万石を領した。
1600年の関が原の合戦では、仲の悪い西軍主将石田三成を討つ為、徳川家康方の東軍につき争った。結果東軍が勝利を収め、その功により安芸国広島藩四十二万六千石を与えられた。
1614年~1615年に起こった大坂の陣の際、正則は「豊臣方に近い大名」と思われ危険視されていた為、江戸留守居役とされた。しかし一部の一門衆(正守・正鎮)は豊臣方に付いている。
1619年、広島城の無断修繕を理由に改易された。本多正純の謀略であったとも言われている。
[編集] 系図
正信 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━━┓ 正則 高晴 長則 正守 ┣━━━┳━━━┳───┐ ┃ ┃ 正友 忠勝 正利 正之 忠政 正鎮 ┃ 正長 ┃ 正勝
[編集] 福島(くしま)氏
福島氏(くしまし)は日本の氏族。九島氏とも。
遠江国の豪族で、今川氏に仕えていた。高天神城を中心にし勢力を広げたが、花倉の乱において今川義元に敵対し敗北、残党は岡部親綱、小笠原春茂に討滅され、一部は甲斐国に逃げ延びたが武田信虎に討たれ没落したとされる。
子孫としては北条氏綱の養子となり活躍した北条綱成(玉縄北条氏の祖)が著名である。綱成の家系は幕府旗本として家名を存続させている。
前述の福島(ふくしま)氏と同族という説もあるが、よくわかっていない。また玉縄北条氏の前身の福島氏は今川氏の家臣の福島氏とは別の一族で、元々伊勢長氏に仕えていたともいわれている。
[編集] 系図 (玉縄北条氏系)
基正 ┃ 正成 ┣━━━┓ 勝広 北条綱成