神部年男
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神部 年男 (かんべ としお 1943年3月24日~)は、1970年代から1980年代初期にかけて活躍した、元プロ野球選手。左投げ左打ち。ポジションは投手。兵庫県出身。
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[編集] 来歴・人物
高砂高校から三菱製紙を経て富士鉄広畑に進み、1968年の都市対抗野球で優勝に導く。1969年ドラフト2位 (1位は太田幸司)で近鉄に入団。
1年目より活躍し、8勝をマーク。翌年以降も10勝、13勝と勝ち星を伸ばす。1975年4月20日の対南海戦で、ノーヒットノーランを達成する。牽制球では神業を発揮し、盗塁王の福本豊もお手上げだった。1978年のオフ、佐藤竹秀・寺田吉孝とともにチャーリー・マニエル・永尾泰憲との交換トレードでヤクルトに移籍する。しかし、翌年近鉄はパ・リーグ初優勝してしまい、さらに自身が入団した年以降ヤクルトが再び低迷することとなってしまう。(ヤクルトが再びリーグ優勝するのは引退してから10年後)結果現役時代は優勝経験のないまま1982年引退。2ケタ勝利4回。
翌年よりヤクルト投手コーチ、1986年から近鉄の投手コーチを1996年まで勤め、翌年よりオリックスに移籍し2001年に退団。2005年より再びオリックスコーチに復帰する。
[編集] 地味なれども知名度が高いわけ
神部は現役時代活躍していたが目立った働きをしていたわけではない。しかし野球ファンの間では未だに知名度が高い。その理由は…。
1.は1980年10月12日に後楽園球場で行われた対巨人で王から本塁打を打たれたがその本塁打が王にとって最後となる868本目の本塁打であった。この時点では誰もが王が引退するとは思わないから最後に打たれた投手になるとは思わなかったがその年のオフ王が「自分のバッティングが出来なくなった」と引退表明したため最後に本塁打を打たれた投手として名を残したわけである。
2.は引退当時神部は11をつけていたが引退した年のオフドラフト1位指名を受け入団した荒木が11を引き継いだため結果荒木の前に前に11をつけていた男として名前を残したというわけである。
[編集] 通算成績
- 登板 370
- 完投 57
- 完封 15
- 無四球試合 7
- 勝利 90
- 敗北 89
- セーブ 16
- 投球回数 1577.1
- 被安打 1439
- 被本塁打 143
- 四死球 550
- 奪三振 762
- 防御率 3.15