神葬祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神葬祭(しんそうさい)とは、日本固有の宗教である神道の葬儀である。
目次 |
[編集] 神葬祭の歴史
日本の古い葬儀の様式は神話の世界に登場し、古事記の中の天若日子の葬儀のくだりに、その様子を知ることができる。
日本固有の葬儀は、仏教伝来以降、急速に仏式のものが普及した。さらに江戸時代になると、キリシタン対策のための寺請制度(てらうけせいど=人々は必ずどこかの寺に所属しなければならないという制度)により仏式の葬儀が強制された。だが江戸時代の中後期になると、国学の興隆によって国学者たちが日本古来の精神・文化に立ち返ろうと訴える中で、神葬祭の研究も行なわれるようになり、日本古来の信仰に基づいた葬儀を求める運動(神葬祭運動)がおこった。その結果、幕府は限定的に神葬祭を行なうことを許可した。
明治時代になると、政府の神祇政策の一環として神葬祭が奨励された。例えば、神葬祭専用墓地として青山霊園が設立された。地域によっては神仏分離や廃仏毀釈に伴い、地域ごと神葬祭に変更したところもある。明治憲法では信教の自由が制限付ではあるが保障されていたため、強制されることは無かった。しかし、葬儀は宗教行為とされる一方、公務員に相当する神職(神社神道は宗教でないとされていた。)は宗教活動である神葬祭を行なうことを禁止され(例外的に府県社以下神社の神職は当分認められた)、神葬祭の普及は停滞した。戦後、神道が宗教としての立場を取り戻し、葬儀に関わることができるようになった。
現在では、依然として仏式の葬儀が一般的ではあるが、儀式の持つ意味が分かりやすい、経済的負担が他の宗教と比べて少ないといった理由から、神葬祭が増える傾向にある。
[編集] 神道の死生観
神道においては、「人はみな神の子であり、神のはからいによって母の胎内に宿り、この世に生まれ、この世での役割を終えると神々の住まう世界へ帰り、子孫たちを見守る」ものと考える。よって、神葬祭は故人に家の守護神となっていただくための儀式である。また、神道において死とは穢れであるため、神の鎮まる聖域である神社で葬祭を行なうことは無く、故人の自宅か、または別の斎場にて行なう。しかし勘違いしてはならないのは、神道でいう「穢れ」とは、それ即ち「不潔・不浄」を意味するものではないということである。肉親の死による悲しみ、それによって、ハツラツとした生命力が減退している状態、それこそが「気枯れ」=「けがれ」である。
[編集] 神葬祭の特徴
- 戒名が無い - 仏教では死後の名前として僧侶に戒名を付けていただくが、神道ではそれに当たるものは無い。神道では死後も、現世に生まれた時に親から頂いた名前のまま神々の世界へ向かうとされる。よって、仏式の葬儀で必要な戒名料も無い。仏式の位牌にあたる霊璽には、故人の氏名の下に「命(みこと)」とつけた「○○○○命」という霊号が墨書きされる。
- 線香は使わない - 仏式の場合、葬儀においては焼香をし霊前には線香を立てるが、神葬祭では焼香や線香を用いることは無い。神葬祭においてこれに当たるものは玉串奉奠(たまぐしほうてん)である。玉串とは榊の枝に紙垂を付けたもので、玉串奉奠は神葬祭に限らず神事の際には必ず行なわれる。
- 墓 - 神道の墓は奥津城(おくつき=奥都城、奥城とも書く)と言う。形は一般に見るような仏式の墓と変わり無いが、正面に「○○家奥津城」と刻む。お参りをするときは線香は立てず、榊・米・塩・水・酒を供える。もちろん、故人が生前好んだ食べ物を供えても差し支えない。
- 祖霊舎 - 祖霊舎(みたまや。御霊舎、御霊屋とも書く)とは、仏式の仏壇に当たるものである。たいていは檜製で、一般に仏壇よりも簡素なものである。通常、神棚の下に祭る。普段の拝礼の作法、お供えなどは神棚と同じように行なうが、順番は神棚を先、祖霊舎を後にする。
[編集] 神葬祭の流れ
[編集] 枕直しの儀
神葬祭の最初の儀式。神棚・祖霊舎に故人の死を報告する。この後、神棚の前に白い和紙を下げる(神棚封じという。五十日祭で封じを解く)。遺体には白の小袖を着せて北枕に寝かせ、枕元に守り刀を置く。前面には祭壇を設け、米・酒・塩・水、故人が生前好んだものを供える。
[編集] 納棺の儀
遺体を棺に納める儀式。蓋をして白い布で棺を覆った後、全員で拝礼する。
- このときに仏教でいう「経帷子(きょうかたびら)」に相当する「神衣」と呼ばれる狩衣をかたどった形の白い衣装を着せ、男性なら笏を持たせて烏帽子を被せ・女性なら扇を持たせて「神様の形」を作ることになる。なお、遺体は硬直しているため実際には衣装は被せるだけ、烏帽子は枕元に入れるだけのことが多い。
[編集] 通夜祭および遷霊祭
通夜祭とは仏式の通夜に当たるものである。遷霊祭とは、故人の霊を霊璽に遷し留める儀式。神職が祭詞を奏上し、遺族は玉串を奉って拝礼する。
[編集] 葬場祭
故人に対し最後の別れを告げる、神葬祭最大の重儀。弔辞の奉呈、弔電の奉読、神職による祭詞奏上、玉串奉奠などが行なわれる。仏式の葬儀・告別式に当たる。
[編集] 火葬祭
遺体を火葬に付す前に、火葬場にて行なう儀式。神職が祭詞を奏上し、遺族が玉串を奉って拝礼する。
[編集] 埋葬祭
墓地に遺骨を埋葬する儀式。墓の四方に竹を立てて注連縄で囲い、遺骨の埋葬、祭詞奏上、遺族の拝礼が行なわれる。神葬祭では、火葬場から遺骨を直接墓地へ移して埋葬する。ただし、最近は一度自宅へ持ち帰り忌明けの五十日祭で埋葬するケースが増えている。
[編集] 帰家祭および直会
火葬・埋葬を終えて自宅へ戻り、神職のお祓いを受けて家の門戸に塩をまく。そして、霊前に葬儀が滞りなく終了したことを報告する。この後、直会(なおらい)を行なう。直会とは、葬儀でお世話になった神職、世話役などの労をねぎらうため、宴を開いてもてなすことである。これによって葬儀に関する儀式はすべて終え、これより後は、御霊祭(みたままつり)として行なっていく。
[編集] 御霊祭
十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭、百日祭、一年祭と続く。仏式でいう初七日が十日祭、四十九日が五十日祭に当たる。地域や葬儀を行なう神職によっても異なるが、二十日祭、三十日祭、四十日祭は省略する場合もある。なお、一年祭以降は、三年祭、五年祭、十年祭と続き、以降5年毎に御霊祭を行なう。三年祭は仏式でいうなら三回忌に当たるものなのだが、仏式の三回忌は死んだときを一回目と数えて一周忌の翌年に行われるのだが三年祭は実際に死んだ年から三年目(以下五年祭・十年祭とも同様)となるため、注意が必要である。