石野卓球
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石野 卓球(いしの たっきゅう、本名:石野 文敏(いしの ふみとし)1967年12月26日-)は、日本のミュージシャン、DJ、グルーヴ歌手。
現在の静岡県静岡市駿河区出身。実家はパン屋だが、父親は土木業を経営する。静岡学園高校卒。血液型はO型。左利き。包茎。M。雑誌「クレア」での発言(石川三千花との対談。単行本「いきなりハッピー」に収録されている)、ラジオ「キックザカンクロー」での発言(12年間交際した女性と別れた)から、1999年2月に入籍、2005年5月に離別と推測される。 (1994年、スポーツ紙に結婚記事が出た事があるが、これは浅草キッドのラジオ番組で石野が言った冗談を記者が真に受けた誤報である。)
インディーズバンド「人生」を経て、1989年、テクノユニット 電気グルーヴをピエール瀧らと共に結成。昨今はそれだけに留まらず、ソロ活動も盛んで、宍戸留美のリミックスや細川ふみえの『だっこしてちょ』などでプロデューサーとしてもその手腕を発揮。非常に個性の強い人物であり、下ネタなどを得意とする。アダルトビデオ出演経験あり(彼曰く「勃たなかった」ので本番はなかったらしい)。ちなみに童貞喪失は中学二年の夏休み。趣味は強いて言えば「爬虫類の飼育」や「フィギュア収集」など。かつて「月刊OUT」に投稿して掲載された事がある。お笑いシーンに関しても異常なほどの知識を持ち、かつては独自の情報網を駆使し、関東にいながらにして全国進出以前のダウンタウンの関西ローカルでの活躍を常にチェックしていたほど。美人だと思う女性は黒木瞳や若い頃の桜井浩子。メジャーデビュー当時は失踪癖があり「プチYOSHIKI」との異名を持っていた。納豆と高い所が苦手。芸名の由来は中学時代の所属部活動から。
目次 |
[編集] 略歴
中学時代にYMOやクラフトワークに傾倒し、自身に敢行したテクノカットを学級委員に指弾されつつも音楽三昧の日々を過ごす。高校時代に共通の友人を介してピエール瀧と知り合い、友人数人とテクノユニット・人生を結成。顔を白塗りした独特のパフォーマンス、下ネタ満載の歌詞などがマニアの間で話題となる。人生解散後、やる事のなくなった石野はエロ本の編集者でもやろうかと考えるが、片手間に音楽を続けるために電気グルーヴを結成。数回のライブを経た後、ソニーレコードのTrefort(後のキューンソニー)から声がかかり、メジャーデビューを果たす(実は同時に複数の会社からオファーを受けていたが、最終的に寿司をおごってもらった事が決定打となる)。
デビュー後数年はテクノユニットというよりもラップユニットとしての側面が強かったが、電気グルーヴはあくまでヒップホップではなくエレクトロニックミュージックを身上としており、ラップはボーカルスタイルの方法論として採り入れていたに過ぎず、パプリックイメージは徐々に石野の目指す方向性とは異なっていった。そこで狂人のように海外のCDを買い漁り、自らの追い求める音楽を模索した石野は4thアルバム『FLASH PAPA MENTHOL』でその答えを出す。半分の楽曲がテクノのインストゥルメンタルというこのアルバムは世間に衝撃を与えた。その頃石野はさらに世界のテクノに触れようとイギリスに渡る。テクノが市民権を得ている当時のイギリスのムーブメントに数々のカルチャーショックを受ける。吹っ切れた石野は5thアルバム『VITAMIN』でさらなる暴走を続け、電気グルーヴをテクノユニットとして世に認めさせる事に成功した。
現在は電気グルーヴとしての活動はもちろんのこと、ソロとして欧州を中心とした海外活動も盛んに行い、1994年にNINJAHEAD名義でリリースした「PULSEMAN VS SINEMAN」がクラブヒットを博し、数々のコンピレーションアルバムに収録された。その頃より本格的に始動させたDJとしての活動では、1998年ベルリンで行われた世界最大のテクノフェスティバル、ラブパレードのFinal Gatheringにおいて100万人の聴衆の前でプレイするなど、ドイツ、東欧では非常に高い人気を誇る。またトビーネイションと共にマイク・ヴァン・ダイクと日独テクノ同盟を宣言するなど、ヨーロッパのアーチストとの親交も深い。
日本においては日本最大の屋内レイヴイベント「WIRE」を成功させ、レコードレーベルLoopaを主宰し、自身も渋谷WOMBにて定期的にパーティ「STERNE(シュテルネ)」を開催している。
活動の本体である電気グルーヴやソロ名義でのリリースに加え、変名での活動(662's、DOVE LOVES DUB、Jamaican Zamuirai、NINJAHEAD、MICKIEE、YAKYUU ISHIDA、Ginger Heads)や他のミュージシャンとのコラボレートによる連名もしくはユニット名義でのリリース(ウェストバム、マイク・ヴァン・ダイク、フランク・ムラー、小山田圭吾、岡村靖幸、砂原良徳、川辺ヒロシ、篠原ともえ、スチャダラパー、七尾旅人など)が多いのも特徴である。
また、優秀なリミキサーとしても国内外問わず多くの作品(YMO、ピチカート・ファイヴ、エレファントカシマシ、少年ナイフ、宍戸留美、ORANGE RANGE、テクネイジア、李博士など)にクレジットされている。
数々の映画や舞台で使用される劇伴の制作や楽曲提供のオファーも多く、大友克洋監督作品の映画「MEMORIES」や堤幸彦監督作品「サイレン ~FORBIDDEN SIREN~」(ともにテーマ曲を制作)、シティボーイズの舞台公演「パパ・センプリチータ」(サウンドトラックおよび劇中歌制作)、プレイステーション用ゲーム「攻殻機動隊」(メインテーマ提供およびサウンドトラック盤総合プロデュース)、テレビアニメ「交響詩篇エウレカセブン」などがある。さらに2002年、ヴァンゲリスの「ANTHEM」(FIFAワールドカップ公式アンセム)のリミックスも担当した。
ちなみに、デビュー当時はホンジャマカの恵俊彰に似ていると言われる事が多かった。これに関しては逆に恵も石野に似ていると周囲から言われていたらしく、ふとした切っ掛けで初対面の折には、どちらともなく歩み寄り「似てるって言われますよね?」と意気投合したという。
映画はATG関連の諸作品や石井聰亙監督作品『高校大パニック』などを好む。お笑いに造詣が深いことは前述の通りだが、近年は特に劇団ひとりを絶賛しており、彼のライヴに駆けつけたり花輪を送ったりしている。
[編集] 作品
[編集] シングル
- anna -letmein letmeout-(1999年)
- STEREO NIGHTS(2001年)
- TAKBAM(2001年)
- ANTHEM -takkyu ishino remix-2002 FIFA Word Cup TM Official Anthem-(2002年)
- The Rising Suns (2004年)
[編集] アルバム
- DOVE LOVES DUB(1995年)
- BERLIN TRAX(1998年)
- throbbing disco cat(1999年)
- KARAOKE JACK(2001年)
- TITLE#1(2004年)
- TITLE#2+#3(2004年)
- TITLES (european edition)(2005年、TITLE#1-#3の欧州編集盤)
[編集] DJ-MIXアルバム
- MIX UP Vol.1(1995年)
- DJF400(1998年)
- IN THE BOX~Live at WOMB Tokyo~(2003年)
- A Pack to The Future(2005年)
[編集] その他
- シティボーイズミックスPRESENTS パパ・センプリチータ オリジナルサウンドトラック - 2003年(※シティボーイズ舞台公演のサントラ)
- The Album - 2003年(※岡村靖幸とのユニット「岡村と卓球」名義)
- MICKIEE - 1995年(MICKIEE名義で、とれまレコードからのリリース)
[編集] 著書
- テクノボン(1994年、宝島社)ISBN 4796608044 - 野田努との共著
[編集] 出演
[編集] ラジオ
※ここではソロとしてのレギュラー番組のみ紹介。
- AZ-WAVE(1997年 - 2000年、J-WAVE)
- FREE FORM ~TOKIO UNDERGROUND MIX ZONE~(2001年 - 2002年、J-WAVE)
- ミュージック・パイロット(2002年 8月 マンスリーパーソナリティ NHK-FM)
[編集] 外部リンク
- TakkyuIshino.com 公式サイト
- DENKI GROOVE 電気グルーヴ公式サイト
- www.WIRE06.com「WIRE06」公式サイト
- InK(石野卓球+川辺ヒロシ)公式サイト
- Loveparade Hall of Fame 石野の紹介ページ(ドイツ語)
カテゴリ: 日本のミュージシャン | 1967年生 | 日本の作詞家 | 日本の作曲家 | テクノミュージシャン | 電気グルーヴ | 静岡県出身の人物