相良長隆
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相良 長隆(さがら ながたか、1492年(明応元年) - 1526年6月25日(大永6年5月16日))は、相良氏第13代当主・相良長毎の次男。第14代当主・相良長祗の庶兄。
10歳のときに出家して瑞賢と号し、京都東福寺で僧籍に入った。しかしやがて帰国し、観音寺第12代住職となる。1524年、弟の長祗が相良長定に攻められて翌年に自殺すると、1526年に僧兵をかき集めて長定を破り、還俗して太郎長隆と名乗って相良氏の家督を継ごうとしたが、僧上がりの長隆に対して相良一族や家臣団は従おうとせず、長隆は正式に家督を継ぐこともできず、人吉城から逃亡し、永里城に入った。
その後、一族の実力者上村頼興の後援を得た実兄の相良義滋に攻められて、自害に追い込まれた。享年35。