目代
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目代(もくだい)とは、日本の平安中期~鎌倉期に、遙任国司が自分の家人などを私的に現地に派遣した代理人である。
転じて本来なら役職上、現地に下向して執務しなければならない人物の代理として派遣された代官などの役人の事を指す。ここでは前記の平安中期~鎌倉期にかけての遙任国司の代理人について記す。
10世紀中期頃、国衙行政は在庁官人の手で運営されるようになり、受領の中には任国へ赴任せず、在庁官人へ行政を任せる者も多くなっていった。これを遙任という。遙任国司は、自分の家人などを代理人として現地へ派遣し、在庁官人の監督に当たらせた。この代理人が目代である。在庁官人らは、目代の監督の下、国衙で租税収取・軍事などの実務に当たった。
南北朝期以降、特に戦国期に国衙領の衰退とともに消滅した。
[編集] 文献で確認できる目代の例
- 近藤師経(こんどう もろつね):加賀国:国司藤原師高の目代
- 山木兼隆(やまき かねたか):伊豆国:国司平時忠及び平時兼の目代
- 中原貞兼(なかはら さだかね):大和国:国司平清盛の目代
- 右衞門尉正友(うえもんのじょう まさとも):美濃国:国司藤原成親の目代
- 安部忠茂(あべ ただしげ):越前国:国司不明の目代
- 紀季経(きの すえつね):下総国:国司不明の目代
- 浄恵(じょうえい):長門国:国司日野俊光の目代
- 覚恵(かくえい) : 周防国:東大寺の目代
- 国宗下総介(くにむね しもうさのすけ):讃岐国:国司藤原経隆の目代
- 河内盛兼(かわち もりかね):讃岐国:国司藤原経隆の目代
- 橘公盛(たちばな きみもり):讃岐国:国司藤原季能の目代
- 橘公清(たちばな きみきよ):讃岐国:国司藤原季能の目代
- 中原清弘(なかはらの きよひろ):甲斐国:国司藤原忠重の目代
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