益田元祥
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益田 元祥(ますだ もとなが、1558年(永禄元年) - 1640年11月5日(寛永17年9月22日))は、毛利氏の家臣。益田藤兼の子。
1568年、毛利元就を烏帽子親として元服する。1570年、父・藤兼から家督を譲られる。その後は毛利氏の主要な合戦の大半に参加して武功を挙げたが、元祥は武勇よりも行政手腕に大いに優れた戦国武将であった。1600年の関ヶ原の戦いでは、徳川家康からその手腕を買われて家臣に誘われたが、これを拒絶している。
毛利氏が西軍に与して周防国・長門国の二ヶ国に減封されたため、財政が極度に悪化すると、元祥は財政立て直しに全力を尽くした。その結果、毛利氏の江戸時代における財政基盤を固めることに成功したのである。この功績から、元祥の子孫は毛利氏の家老として江戸時代を通じて活躍することとなったのである。