物部麁鹿火
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物部麁鹿火(もののべのあらかい、? - 535年)は、継体天皇の頃の豪族。物部麻佐良の子。
日本書紀の記述によると、武烈即位前に大連として名前が現れる。
武烈天皇死後、継体天皇の擁立を働きかけたとして即位後に大伴金村と共に大連に任ぜられる。512年、百済へ任那四県の割譲の際、麁鹿火は百済の使者に割譲の容認を伝える宣勅使となるが、妻からの諫めにより考えを改め、病気と称してその役目を辞任する。
527年6月、九州北部で反乱を起こした筑紫国造磐井を征討する将軍に任命され、翌年11月に磐井を破って処刑し、磐井の乱を平定した。
その後の安閑天皇・宣化天皇の代にも大連を務め、535年(宣化天皇元年)7月に没する。
古事記にも物部荒甲として記述され、やはり反乱者 (古事記では竺紫君石井) の討伐実行者として名前が現れる。
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