滝乃川学園
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滝乃川学園(たきのがわがくえん)は、東京都国立市に所在する日本最古の知的障害者の養護施設。聖公会系(プロテスタント系)の社会福祉法人。
1891年、立教女学校(現・立教女学院)教頭の石井亮一により創立された聖三一孤女学院を起源とする。創立当初は、少女の孤児を対象とした保護施設であった。濃尾大地震の際も多数の孤児が発生し、その中の年端のいかぬ少女たちが売春目的に取引されている実状を耳にした石井が、この問題を憂慮し、現地に駆けつけ、21名の少女孤児を引き取り保護したことにその起源がある。
21名の少女孤児のうち、2名に知能の発達に遅れがあることを見つけた石井は、深い関心を示し、知的障害について学ぶために、二回渡米し、知的障害研究の始祖であるエドゥワール・セガンの未亡人に師事。帰国後、聖三一孤女学院を滝乃川学園と改称し、知的障害者の保護・教育・自立のための総合的な施設になっていく。
その後、滝乃川(現東京都北区)から、巣鴨(現豊島区)に移転。しかし1921年には園児の火遊びがもとで火災を起こし、園児数名が焼死する惨事に見舞われ、園長の石井は学園の閉鎖を決意する。だが、皇室からの激励や、支援者たちの尽力により、財団法人としての認可を受け、初代理事長に渋沢栄一が就任し、再建を果たした。
1928年現在地(東京都国立市)に再移転し、1933年には学園本館において日本精神薄弱児愛護協会(現・日本知的障害者福祉協会)が創立される。1937年には秩父宮雍仁親王・勢津子夫妻が学園を視察。
秩父宮夫妻来校の年、創立者石井亮一が死去し、夫人の石井筆子が第二代園長に就任。戦時中の苦難を乗り切り、戦後、社会福祉法人に改組し、現在に至る。
なお滝乃川学園には、1928年移転当時の本館(石井亮一・筆子記念館)が現存し、国の登録文化財になっているほか、聖三一礼拝堂と第二代園長石井筆子愛用のアップライトピアノ(日本最古の輸入ピアノで「天使のピアノ」と命名される)も国立市の文化財に指定されており、知的障害者福祉の貴重な歴史的遺産として注目されている。
ちなみに、初代理事長渋沢栄一をはじめ、皇室・皇族、勝海舟、島崎藤村、津田梅子ら当時を代表する著名な人物が支援したことでも知られる。